今回は、前身のMDGs時代に比べて、企業が積極的にSDGsに取り組むことになった理由について。持続可能(サステナブル)、SDGsはビジネスチャンスなのだ、という一種のマジックワードも効果的でした。
SDGsとは、そもそもSustainable Development Goalsの略語、訳して「持続可能な開発目標」です。サステナブル、とはどういうことか。「ブルントラント報告」は、「将来の世代がそのニーズを満たせる能力を損なうことなしに、現在のニーズを満たす(開発)」と定義しています。
これはもちろん、現代社会が何不自由なくすごすために将来世代を犠牲にするな、ということでありますが、同時に、現代人もニーズを満たすべき、とある。やせ我慢しすぎて、企業の業績が悪化したり、従業員が疲弊したら、それもダメよ、ということです。
この言い回しは秀逸でしょう。これなら企業も「やるか」となりやすい。
SDGsのもう一つの重要理念として、「誰一人として取り残さない」というものがあります。飢餓、ジェンダーマイノリティの問題など、天秤にかけて落としどころを見つけるのでなく、すべて解決しようとする態度は、SDGsの強力な推進力であるそうです。しかし、昭和の空気もよく知っている世代の僕からすると、これは多分に理想論に流れすぎて、むしろ推進力を損なってしまう理念であるような気もします。
僕はクラシック音楽好きですが、企業が、利益のためでなく音楽ホールや美術館を作る「メセナ」という行動を知ったのは90年頃でしょうか。SDGs以前も、企業には、社会的責任という概念の元、「本業と違うことで社会に貢献する」行動はあったのです。
SDGsはそれを大きく進め、本業、自社の強みで社会的課題を解決し、それによって利益を上げること自体を称賛する姿勢を示しました。健康によい機能性飲料水を開発する飲料メーカー、CO2削減につながる代替肉や、医療物資を運ぶドローンを開発する企業が大きな脚光を浴び、業績を伸ばしています。いまや、SDGsは宝の山、と考える企業も少なくなくなりました。
そしてもう一つ、投資行動の側面からも、企業はSDGsを意識せずにはいられなくなったのです。近年、企業の長期的な価値は業績数値だけでなく、環境に配慮して生産しているか、公正な労働環境や企業統治を行っているか、なども業の「健康状態」も加味して判断すべきだという考え方が生まれ、広がってきました。これからの投資市場は、SDGsに配慮した企業にしかお金を流さないということです。
2016年、ロックフェラー財団は、石油メジャーのエクソン・モービル株を売却すると発表、日本でも、世界最大の投資機関と言われる年金の運用法人GPIFが、SDGsに配慮した企業にだけ投資するという意志を示し、日本企業に激震を与えました。また、これは投資ではないですが、イオンは、納品業者の全てに、正しい労働環境の下で生産されたものを納めるよう求めました。守らなければ、大きな取引を失うということです。
さらに、その取り組みを広報活動で積極的にアピールしてよい、という風潮も、以前のように「秘すれば花」で、慈善活動を慎ましくアピールしていた日本企業を開放してくれたと思います。SDGsを無視して人々の非難を浴びるよりも、ビジネスとして取り組んだり、労働環境を整え、それをホームページなどで対外アピールして、販売や投資の訴求、求人活動などにつなげる。そういう発想転換に成功しつつあるのです。
次回は最終回。個人としてのSDGsへの取り組みの話をしましょう。
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