20周年記念パーティーの話5 ダンス後編 2017/12/7 By ダンスの後半。 家に帰ってやべ~と思った僕ですが、ここから独特のエグいところを出します。 すなわち、その晩のうちに、すべての克服を図ってしまおうと。じゃねえと寝れねえなと。 スマホに撮ってきた先生のお手本動画をコマ送りで舐めるように見て、真似るという作業を繰り返していきます。気づけば朝の5時。翌朝掃除機をかけると、ダイソンが赤い絨毯の繊維でいっぱいになっていました。 その後の練習もだいたい夜中の1時から3時という感じ。ひどい時なんて、マンションに着いてからロビーでやってて、新聞配達が見なかったふりをして消えていったりw でも、なんと言っても初日の夜中に尽きると思います。お先真っ暗な状態から、4~5時間かけて分析し、寝る前にはもう、これはできる、パーティーには間に合うと確信できるところまでいきましたから。 こんな自慢話、聞かせてる自分に辟易中ですが、それでもひとつだけ言っておきたいことがあります。 それは、僕がスマホにいれた動画を眺めながら、見切ろうとしていたのは、「ラテン・ダンスの本質・法則」だということです。 例えば僕は初日に習ったルーティンにいつも立ち返るようにしていました。先生は振り付けで覚えろとおっしゃりますが、僕は常に、振り付けの一部が、ルーティンのどの部分にあたるのか、ということを考えていました。 また、助手の先生は、僕の手本でひょろっとやっても、いきなり山本先生と手の動きが合うんですね。愛弟子だからという問題なのか? いや、そこには法則性があるはずです。 先生の手の動きは、クネクネとそれ自体が動いているようで、足(ステップ)とは一見リンクしていません。でも、最小公倍数のように、どこかのカウントで必ず手と足が決まった関係になる瞬間があるはずです。そして、それが共通しているからこそ、ペアでやってもいきなり合う。それこそがペアダンスである社交ダンスの「本質」(のひとつ)のはずです。 結局、先生は、手の振り付けについては最後まで何も教えてくれませんでした。天才かつ感覚人間の山本先生にとっては、手なんて自然と付いてくるものだ、ということかもしれません。あるいは初日のできからして、お前が手の動きを合わせるなんてほざくな!という思いもあったのじゃないかな。 しかし、当日の録画を見ても、二人が離れた部分での手の動きはだいたい合っています。もちろん、二人のどちらかが相手に合わせたわけでもないですし、正確には練習の時の先生の動きを真似たものでもない。これは、僕がラテン・ダンスの、ステップと手の動きの「法則性」を身に着けて、自分一人のダンスとして踊った姿なのです。 当日のダンスは練習でも1回もないノーミス(ステップを間違えなかった)で、キレや表現もどのリハより良いという、信じられないほどの上出来でしたが、その反面、ここは気を付けなければ、と思っていた「留意点」はみな吹っ飛んでしまっていて、ほとんどすべての「嫌な癖」が出てしまいました。そういう意味ではリハよりも下です。 でも、それなりにお褒めいただけるような形になっていたのは、僕が、例えば体型から想像するような「ダンスもこなせる」人間であったからとかでは全くないのです。普通の52歳か、それ以下のセンスなのですよ。しかし、その代わりに、自分には、科学の方法を用いる癖が根付いていたということです。 すなわち、分析し、仮説を立て、実験し、論理の正否を判断して、次に進む、の繰り返しです。 先生の動画を精査し、こうでないかと考え、その通りに踊ってみて、しっくりくるものだけ採用、それ以外はもう一度動画分析に戻る、ですね。 普通、学校で学ぶことは社会で役に立たないとか言います。あるいは科学なんてものは勉強や理系の領域だけだと考えられがちですね。でも、そういうものでは全くないと思う。 物事が成り立つからには法則性があり、それを知るためには科学的アプローチが有効です。そして、それらが多分に学校教育で身についたものなのは間違いない。 僕はメイクもそうやって学びましたし、今回のダンスなんてその結晶のようなものなのですよ。・・・って、あれ? こういう話がしたかったのかしら?(笑)