“現代のモーツァルト”アンドリュー・ロイド・ウェーバーの代表作にしてブロード・ウェイや劇団四季の定番作品。その映画化としてはだいぶ物足りない作品だった。
(これは演出のせいとも言い切れないが)とにかく楽曲が多くてしかも連続する。その中あの猫と人間を融合させたような特撮で魅せてくるのだが、そのコンセプト自体が間違えだったか。
ここまでドラマ性よりも「代わる代わる持ち歌を披露する」というガラ的な原作なら、既に登場している人たちが次は私の出番ね、とばかり中央に出てきて周りも引き込まれて踊る、という演出、つまり舞台そのものが一番しっくりと来てしまいそう。
などとは観終わってからの感想だが、それにしても作品世界に入り込めないままの目で眺めていたが、ラストの手前でやってくれました”例のあの人”が。
落ちぶれた雌猫として登場したジェニファー・ハドソンが本作きっての名曲『メモリー』を歌うのだが、思わず涙がボロボロと。な、なんじゃこりゃ~!
作品にのめってない、この猫の背景に思い入れない、おまけにイマイチの翻訳のせいか歌の意味も浸み込んでこない、なのに涙が出る。妻の目からも出ている。
その歌唱力たるや素晴らしいの一言!
いや~、ストーリーや演出で観ていくタイプ、ディテールにあまり気を配らない観方の僕が、歌唱力なんてものひとつでコロッとやられてしまうなんて・・・
原作はもっと素晴らしいのだろうが、映画としての価値は低い(こういうケースは多分、ウェーバー自身が口出しすぎたんじゃねぇの?って予想はなんとなく立つけれど)。正直その価値は
作品全部<メモリー1曲
って感じだが、と言ったら「作品全部の中にメモリーは含まれているよな」と突っ込むのはやめてくれ!73点
(これは演出のせいとも言い切れないが)とにかく楽曲が多くてしかも連続する。そんな中あの猫と人間を融合させたような特撮で魅せてくるのだが、そのコンセプト自体が間違えだったのではないか。
ここまでドラマ性よりも「代わる代わる持ち歌を披露する」というガラ的な原作なら、既に登場している人たちが次は私の出番ね、とばかり中央に出てきて周りも引き込まれて踊る、という演出、つまり舞台そのものが一番しっくり来てしまいそう。
などとは観終わってからの感想だが、それにしても作品世界に入り込めないままの目で眺めていたが、ラストの手前でやってくれました”例のあの人”が。
落ちぶれた雌猫として登場したジェニファー・ハドソンが本作きっての名曲『メモリー』を歌うのだが、思わず涙がボロボロ・・・と。な、なんじゃこりゃ~!
作品にのめってない、この雌猫の背景に思い入れない、おまけにイマイチの翻訳のせいか歌の意味も浸み込んでこない、なのに涙が出る。妻の目からも出ている。
その歌唱力たるや素晴らしいの一言!
いや~、ストーリーや演出で観ていくタイプ、ディテールにあまり気を配らない観方の僕が、歌唱力なんてものひとつでコロッとやられてしまうなんて・・・
原作はもっと素晴らしいのだろうが、映画としての価値は低い(こういうケースは多分、ウェーバー自身が口出しすぎたんじゃねぇの?って予想はなんとなく付くけれど)。正直その価値は
作品全部<メモリー1曲
って感じだが、と言ったら
「作品全部の中にメモリーは含まれているよな」と突っ込むのはやめてくれ!73点
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