沢田研二主演、1979年公開。僕が若い頃には話題にも上がっていなかったのに年々評価が上がり、現代では日本映画史上の傑作と位置付けられている作品。この度初見であった。
いやしかし、これほど後半にかけて”惜しい”作品も稀だろう。
半分、いや3分の2までは素晴らしい。しかし、残り3分の1から、グッダグダになる。
今の韓国映画の展開でら、後半部分の迫力だけを除き去った感じだろうか。なんかそれ必要?みたいなしつこい展開になってしまうんだな。
物理(理科?)教師が、原子力爆弾の作り方を学んで実際に作ってしまう。
作り方は簡単だし、材料も日用品の転用中心でなんとかなるらしいのだ。「プルトニウムを除いて」。
そこは派出所でピストルを盗んだうえ、海を潜り、警備をかいくぐり、発砲はするわ火炎放射器は使うわのむちゃくちゃで、東海村の発電所からプルトニウムを盗み出すというナンセンスな離れ業を披露。ギリギリこちらが我慢できるのは、当時のジュリーなら空も飛びそう(TOKIOね)だからだけでなく、実際に主人公の髪が抜け落ちたりする悲惨さ故でもあろうか。
警察・政府を揺さぶって脅迫をするも、実際彼にはどうというほどの要求もなく、そこで途方に暮れてしまう。実際この主人公に目的はあったのか。無いのだと思う。それよりも、物語序盤のエピソードで修学旅行のバスがジャックされるが、その際に菅原文太扮する刑事山下のりりしい捌きに圧倒されてしまい、文太に打ち勝ちたくなった。それだけではないか。
エンドロールの一番目に文太を持ってきたことがその証左だと思う。つまり、念押ししてきたのだ。
・・・と、ここまでは作品性を褒めまくりだが、最初に言っているように後ろ3分の1が全くいただけない。
まず、例によってこの時代特有の「女には迫ってやれ。抱けば言うこと聞くだろう」という空気。これをなんと文太までが披露してしまう。うえ~っ!
そして、カーチェイスに殴る撃つの大格闘。当時としてはまずくもないのだろうが、この頃の邦画レベルではどうしても限界がある。そのうちジュリーがすっかり「太陽にほえろ」のショーケンに見えてきたが、最初は主役にショーケンを想定して当て書きしていたしていたというのを後から知った。
しかもしつこい。本当に。文太何度も蘇ってくる。いや、ゾンビではないけれど、それくらいしつこい。
巻き添えになった形のDJの池上季実子がほほ笑みながら「死なないでね」と言って死んでいく。ジュリーに強引にキスされてしまっているからくらいの根拠しかないが、これでいいのだろうか?
韓国映画でもそうだけれど、こういうのは趣味じゃない。
前半の主人公をもっと鬱屈させて描いていればこれもありかもしれんが、原爆を作り出したところからジュリーはもう生き生きしている。つまり、生き生きが続いている中で、映画のタイプがガラッと変わってしまう。なんともついていけない。
正直ちょっとがっかりした作品と言ってもいいくらいだが、心に残る場面は多かったと思う
。75点
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