『幕末太陽傳』幻のラスト 2023/1/20 By Leave a Comment 日本映画史上の傑作に数えられる作品。いつか観たいと思っていたが今日機会を得た。 1957年公開、名匠川島雄三監督の代表作で、生き生きとした描写ながら、音声を中心とする環境の悪さとストーリーの推進力の無さが合わさって、没入と言えるほど楽しめなかったのが惜しい。 まずセットをはじめ、その時代をまさに現出していると思わせる描写が素晴らしい。 ドラマの舞台・妓楼「相模屋」は実存せんばかりだ。僕は水商売の経験が3年弱ほどあり、さらにメイクでキャバの控えに入ったことがあるのだが、本作での水商売独特の儀式性や緊張感は、まるで現在のキャバクラの裏側のようだった。 縁起を担ぐ世界なので、今でも(もうずいぶん前だが)入り口には盛り塩・控えには神棚の世界であったし、お客が満ちてくると独特の体育会系的爽やかさが漲り、ちょっとした狂乱・催眠状態のように盛り上がれるのが、あそこで働く魅力の一つである。 京都店のオープン当初も、まるで水商売張りの接客で、夕方には一旦ぼ~っとしてしまったのが懐かしい(笑) いくつかの場面も鮮烈なイメージを残した。 一つだけを挙げれば、二人の売れっ子女郎(左幸子と南田洋子)の大喧嘩だろう。庭での大乱闘が、縁から1階、さらに階段を上って2階までつながっていく様は、先日のオールドボーイの廊下大乱闘とまでは言いすぎでも、女優同士の喧嘩としては前代未聞の迫力であろう。 俳優では、フランキー堺は文句の付け所がない名演だ。僕が知っているのは脇役でテレビに出ていたくらいの姿だったので、まさかこれほどとは、と恐れ入った。女優ではやはり南田洋子の女郎の、がめつさと人の好さの共存を見せて良い。日活のスター俳優も出ていたが、高杉晋作役の石原裕次郎は、うまくはないながらも爽やかだったが、久坂玄随役の小林旭に至っては、まったく気づかなかった(笑) 労咳病みでありながらも、駆け抜けるように生きる主人公は川島監督の理想の男性像らしく、その表現意図は十分に伝わったが、それでも、何がどうなるわけでもないストーリーの古い映画というのは、なかなかに見づらい。 せめてラストが、監督が構想しながらも周りが反対して流れてしまったという、セットから品川の現代(50年代の街並みだけれど)に向かって逃げ走っていくというものであれば、一層の印象を残せたのになあと思う。『蒲田行進曲』のようなアレね。ちょっと時代的に早すぎたのかなぁ(笑)68点
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