映画じゃないんだけれど、先日大竹しのぶ主演の舞台『ピアフ』を、日比谷のシアター・クリエに観に行った。
大竹しのぶさんを一度生で見ておきたかったのが最大の動機。いまや第一人者と言っていいその人を、元気なうちに見ておきたいなぁと。
席は前から2列目。ど真ん中でもないけど端っこでもなく、彼女の息遣いまで手に取るように感じられて、まずは満足!
後からレビューを見ても、彼女の演技は”絶賛”されていると言っていい。熱演、ピアフになりきった、的な。でも、僕は正直・・・ピンと来なかったですね。
普通に言って、大竹さんのせいではないように思う。街角に立って歌っていた若年期から、50歳手前で死ぬまでの人生を辿る演出は、それだけでだいぶしんどいのではないか。同じような大地真央の『クレオパトラ』とかも観たけれど、どうにもしんどい。感動のしどころが無いというかね。
確かにピアフの人となりを浮かび上がらせるという目的には効果的だっただろう。例えば男性と数多く付き合ってきていること自体が「人となり」に入るとすれば、どうしてもエピソードが増えてしまう。
でも、それならいっそのこと、「ト書き」のようなものを組み込み、観衆がエピソードを理解するのに力を割かずに済む演出にすべきではなかったか。
例えば、劇を見ながら、えっ?ピアフってレジスタンスもやってたの?ではなく、あらかじめ知識を与えておいて、ピアフのレジスタンスとはこういう手法だったんだ・・・と思わせるべきで、その方が観衆はより感動することに力を割けたはずだ。
「ト書き」のことは、確信をもっているというか、僕なら絶対にそうしますね。
その歌唱力も、評価が割れるところだろう。
普通に言って、歌唱力抜群からは程遠い。ヅカ出身の女優(彩輝なおさん)との二重唱では、それが露わになる。しかし、それは逆に、大竹が「テクニックでなく」「心で」歌っているのを浮き彫りにさせる場面でもあった。
僕は、その二人なら、どちらかと言えば「下手な」大竹の歌唱の方が好きかな。
しかし、後半、イヴ・モンタン役の男性が朗々と1曲歌いあげたときに初めて会場に拍手が鳴り響いたことは、やはり深刻な場面であった。僕もそこで初めて「あっ、拍手していい舞台なんだ」と気づいたくらいだから・・・
それ以来、歌の後には大なり小なり拍手が起こるようになり、彼女の歌も拍手で包まれるようになったのは、笑えないアイロニーだ。
それでも”絶賛”されるのはなぜか。当然ながら演技力に問題はない。まごうことなき「熱演」であることもそのひとつだろう。しかし、それ以上に、大竹しのぶがもう「批判されない(されにくい)位置に立ってしまった」ことが大きいんじゃないかな。スカスカの失敗でもない限り、批判はされない位置に来てしまった・・・。それはなかなかに厳しい現実でもある気がする。
ということで、観劇としてはあまり高評価できないのだけれど(52点)、ピアフの人生には、浅学の僕は大いに感じ入りました。いやぁ、思っていた以上の赤裸々ぶりで(笑)
次回は、ピアフの人生について思うことを書いてみようと思います。
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