最終日が昼前出発なので、6日目(土)が実質最終日。そしてこの日のメインははっきりしていたので、それまでは軽く流す感じだ。
まずカタコンブという骸骨がいっぱいあるところに行くも長蛇の列。
ここはさっさと断念を決断し、セーヌ川遊覧を少しでも早く開始できるように駅に向かう。
遊覧を最終日に持ってきたのは。パリの復習の意味で。
数日にわたって、セーヌ川岸のいろいろな建造物を訪れたり高所から眺めたりしてきたので、今は地図を片手に主だったものは全てわかる。と、それを皆で共有したかったが、なんやら2階デッキは暑いとかで半分くらいが上がってこない。う~む、とは思ったがこれくらいは放任しておくのが、なんというか呼吸というものだ。
カフェで最後の昼ご飯を取った後、3時間ほど自由行動とした。女子大好きな買い物の時間ね。
それぞれに市場っぽいところや百貨店に散らばっていった・・・んじゃないかな。もちろん知りません。
僕はサンジェルマンデプレというところに寄ってみる。街並みや雑貨屋を見に行こうとしたのだが、一人になると人が変わったように方向音痴になり、ほとんど何もできなかった。
そのあと古いほうのオペラ座、ガルニエ前にて待ち合わせ。4時半に集まってちょっと涼んだ後、入場しようとしたら、なんと4時半で入場打ち切りだという。あちゃ~、やっちまった。しかしま、これくらいは切り替えよう。
さて、いよいよ本日のメイン・イベントである。
ホテルで少しおめかしした後、新しいほうのオペラ座、バスティーユで、ヴェルディのオペラ『アイーダ』を鑑賞する。
今回の旅行の仕込み予習は以下の3点。
①映画『フレンチ・カンカン』『アメリ』「泥棒成金』と、ヅカの古い『ベルばら』(鳳蘭、初風淳)を見ておくこと。
②世界史の講義を僕が2回行った。
③『アイーダ』を各自数回流して聴いておき、内匠家などで鑑賞会。内匠が作った要約訳本を持ち込んで、日本語字幕無しに対応する。
つまり、単品ではアイーダに断トツ力が入っているのだ。
舞台が始まってすぐオリジナルの設定ではなく、時代設定などを変えた「読み替え」ものであると気づく。しまった。この広い舞台であれば、絶対に古典で来るだろうと思って、その可能性はほとんど考えていなかったのだ。
自分はそれなりに楽しめるが、皆はポカンかもしれないと思って、幕間の休憩で集まると、くちぐちにおもしろい、新鮮でかえって良いなどと言ってくれた。本当なのか、気を使ってくれているのか。しかし、ある程度以上楽しめていることは間違いなさそうでほっとする。
後半のアムネリスの悲嘆の場面では僕ももうびしゃびしゃに泣いて、ブラヴォーもいっぱい出してしまった。
内容もすごくよかったが、皆が喜んでいてくれると思ったことで、後半はより舞台に入り込めたのもあろう。
終演後は、すでに夜歩きで一度通っていて、とても魅力的に感じたモンマルトルの街中で飲み会を行う。
旅の中で一番よかったのは?という話題ももちろん出て、ムーラン・ルージュ、ニースの海、アイーダなどが挙がっていたが、僕がその中に凱旋門を入れたことにはみな???で。
夜中にホテルで藤堂と夜話していて、「あの凱旋門まで、皆があまり暖まっていなかったので、引率者としてはあそこでほっとした。だから印象的な場所に入ってしまうんだよ」というと、なるほどと感心してくれました。僕の立場がいかにほかの人たちと異なるか、を如実に語るエピソードではないでしょうかね。
本当の最終日である日曜日は、それでも早くから起き、電車にも乗って、セーヌ川岸、シテのあたりまで2時間の散歩に行った。前日の飲み会で緊張が解けたように眠くなってしまった僕にとって、この散歩は“エクストラ・ラウンド”。
旅行中の反省が頭の中を全くよぎらないとは言わないが、それでも基本肯定的に、重責を果たした解放感と、1週間ほぼ好天に恵まれ続けたことへの感謝の気持ちに包まれながら、パリの美しい景色を目に焼き付けていきました。
実際、自分にとっては、最も幸福な瞬間はこの2時間であったかもしれないと思う。
いや、ほかの、準備して結果を出した喜びとはまた種類が違うんですがね。
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