男はつらいよ・寅次郎相合い傘 2022/12/23 By Leave a Comment 今まで寅さんをまともに観てなくて、この度人気作を2~3観てみようと。第1作をまず観たが正直イマイチで。このシリーズ合わんのかなぁと思いながら本作を観たが、これがもう全くの別物だった。 シリーズ中でもベストと言われるだけのことはある。渥美清の芸もこなれているし、ストーリーもいい。そしてやはり、歴代№1マドンナ・浅丘ルリ子演じる”リリー”の存在が最も大きい。 ドサ回りの歌手という役どころで、前回の登場時の最後に結婚したがその後離婚、今も場末のナイトクラブなどで歌っているようだ。その歌声を、途中寅次郎は「リリーの歌は、哀しい」と評しているが、それだけで、だいたいの芸風が知れるだろう。 「メロン騒動」「相合い傘」など、シリーズ中の傑作場面のオンパレードである(らしい)。それらももちろんいいのだが、リリーのキャラクターや、浅丘ルリ子の八重歯に象徴される哀しいやさしさを思い出すと、僕には正直どうでもよくなる。 僕にとっての最大の見せ場は、さくらが、「これは冗談だけれどね」とリリーに兄との結婚を勧め、それをリリーが受けたようでありながら、ちょっとした機微で流れてしまう、そのくだりに尽きるのだ。 ひょっとして、くらいの雰囲気でさくらが話し始め、一旦躊躇する。リリーは「なによ、言い出したのならちゃんと言ってよ、じれったい」とニコニコしているが、さくらにカメラが戻って「お兄ちゃんのお嫁さんになってくれない?」と言い、またカメラが切り替わったその時のリリーの表情! ふさぎこんだような目をしていて、周りを「やばい?」と思わせた後、「いいわよ。私みたいな女でよかったら」と言う。こんなにシンプルに、彼女の苦しい人生を表せる演出、演技がすごすぎる! 美人のリリーにとって、ドサ回りの歌手と言うのは必須の生き方でもないだろう。夢があってしていることでもあるが、やっぱり浮かばれる日は少ない。その哀しさがわかるだろうか。 僕はわかる(つもりだ)。 夢と言うのはアドレナリンみたいなものだ。苦しい、なんとか生きているような生活でも、夢を持っていればやっていけてしまう。でも、しんどい。人の優しさに触れたときに、わっと決壊しそうになる。それは、やはり一つの選択だろう。でも、もしそんなキッカケを逃した時も、それはやっぱり自分らしいことなのだと納得してしまうものなのだ。 「冗談なんだろ?リリー?」という寅次郎に、「冗談よ」と言ってリリーが出て行ってしまった後、さくらが兄に「今からでも追いかければ?」と提案。寅が「いや、これでいい。あいつも俺と同じ渡り鳥だ。それに頭のいい女だから、自分とうまくいくはずもないだろう?」と言い、観ているこちらも一旦、そりゃそうだね、と思う。 が、これで終わらない。さくらが「そうなのかな・・・」と返してやりとりがやっと終わるのだが、これも絶妙だろう。 さくらからすれば、そんな気もするが、もう羽を休ませてもいいと思う。気持ちはわかるけれど、この判断が間違えているようにも感じる。 これは、山田洋二が見続けてきた、成功には至っていない多くの映画人に向けるやさしいまなざしであるかもしれない。少なくとも、その境遇にある者たちが観たら、映画館で涙が止まるまいと思う。 エンディングもいい。 寅次郎が河川敷でぶらぶらしていると、場末のナイトクラブ一座のバス旅行と出くわす。金髪ブスのおばさんばっかり。「ほら、やっぱり寅さんだ。一緒に行こうよ」と誘われ、残る傷心を振り切った寅さんは、「それでは、〇〇一座、出発でございます!」とばかりに明るい名調子を初めて、バスが去って行く。弱い者に向ける山田監督のやさしさが、胸に染みるラストだ。 88点
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