新カテゴリ「読書三昧」を追加しました。
本の話を、1~2冊ごとにグダグタ~サラサラさせていただこうと思っています。
今日はこれ、『蜩ノ記』(葉室麟著)です。
見ての通りの歴史もので第146回直木賞受賞作。
ご存知、直木賞は直木三十五の名前を冠しているだけあって、歴史ものが選ばれるのは本道って言えばそのとおりなのだが、それにしても・・・。
こんな「真っ当すぎる」作品が今日の受賞作でいいものなのか、とそう思わせるような小説でした。
まず主人公がパーフェクトすぎます。文武両道に秀でた人格者。切腹を3年後に控える身でありながら、残された事業に真摯に取り組み、日々泰然自若、あるかなきかの笑みを常に纏う。家庭は絵に描いたように上品で、家族間は完璧な敬語で会話。う~む。。。百田の世界??
決して内容が薄いということはありません。どっしりと貫禄ある構成。ストーリーはありがちなお家騒動絡みだが、家譜編纂という仕事を通して推理が行われるという設定は、オリジナリティだけでなく本作に深みを与えています。ただね、感覚がやはり古典的すぎるのですよ。つまりジジ臭い。
実は冒頭からして萎えてしまいました。ちょっと長いけど引用しますね。
山々に春霞が薄く棚引き、満開の山桜がはらはらと花びらを舞い散らせている。昨日まで降り続いた雨のせいか、道から見下ろす谷川の水量が多い。流れは速く、ところどころで白い飛沫が上がっている。
昼下がりの陽光にくっきりと照らされた川辺の木々はみずみずしい葉を茂らせていた。その枝は、川面を覆うように伸び、新緑の影を水面に映し出している。
背に葛篭を負った壇野庄三郎は谷川に下りると、丸石がごろごろと転がる川岸にかがみこんで手をひたし・両手で水をすくい口に含んだ。眉が濃く鼻筋が通った庄三郎の顔が水面に映った。【引用以上】
・・・僕的にはほぼ要らん描写ですな。
解説のロバート・キャンベルさん(テレビでも見る日本文学研究者)はこの部分をまさに褒めているが、これを良いと言うのは、それはあんがた外人だからでしょ!?と感じる。もう僕たちはこういうのうんざりです。
情景描写自体を不必要とまでは言わない。でも、やるならやるで、もっとさっぱりとした文章で願いたいものだ。
満開の山桜がはらはらと花びらを舞い散らせている。昨日まで降り続いた雨のせいだろう、谷川の流れは速く、ところどころで白い飛沫が上がっていた。
昼下がりの陽光が、新緑の影を水面に映し出している。(以下略)
・・・くらいでどうか。
これでも同じような情景は伝わるであろう。つまり、これ以上は、美文で作品に色を与えようとする作業に分類されるはず。こういう「文学っぽさ」が、程度にもよるが、正直ウザい。臭くてダサい。学校の教科書みたい。古い校歌みたい。
いや、こんなのが大人にはいいのですという人もいるだろう(僕も十分すぎるくらい大人ですけど)。でも、そうではないと思うんだな。例えば、遼太郎や周平はこうではないのだから。
彼らのものとて情景描写がないわけではもちろんない。ただそれが、テレビの場面切り替えの時にふっと新緑のパンから始まって人物に移って行っても自然に感じられるような、そういうスピード感、さりげなさなのだ。いや、そう思うだけで知らん。実際には、空気のようにそれが流れるので、まったく引っかからず、あまり記憶に残っていないから。しかし、少なくとも周平はこういうことの名人でもあると思う。
へなちょこな作品では絶対にないのだから、これが直木賞で嘆くということもないのだろうが、しかし「たまには直木賞作品も読んでみようかしら」と思ってたまたまこれを選んだ人たちを本好きにさせることが果たしてできるのか。僕はアカンと思う。むしろ逆効果のほうだろうなと。
62点。
ゆきみ大福 says
内匠先生、今日、ブライダル(笑?)アルバムを受けとりましたキレイだって言っていただけました2回目のブライダルも撮ってね
とっても素敵に仕上げていただけて、嬉しい&大喜びです
神田さんにも見せてきましたよ
ホントにありがとうございました
mica says
連休は読書三昧ですか?
>僕的にはほぼ要らん描写ですな。
私的には情景描写はしつこいくらいがいいかもしれないです。
めみ says
芥川賞ならいいのでしょうか?
タクミ says
内匠先生、今日、ブライダル(笑?)アルバムを受けとりました
とっても素敵に仕上げていただけて、嬉しい&大喜びです
いや、それはよかった。
なんか清楚~な仕上げだったですね。
キレイだと僕も思いましたよ。
>2回目のブライダルも撮ってね
本ちゃん?
タクミ says
>連休は読書三昧ですか?
う~んと、京都にいるときの仕事の時間以外がそんな感じです。
青山の家では読書より音楽なのでね。
>私的には情景描写はしつこいくらいがいいかもしれないです。
そう思って周平を見てみたら、ちゃんと情景描写は入っているけれど、それの心理描写とリンクして有機的だったり、言葉自体が2ランクぐらい上だったり・・・でした。
そうだとやっぱりある方がいいのですよね。
タクミ says
>芥川賞ならいいのでしょうか?
またこんな・・・(笑)
この話もよくしましたが、両賞には大きな特徴的違いがあります。
芥川賞は前衛、直木賞は娯楽ですね。
そういう意味では、直木賞は必ずしも今っぽいセンス性は多く求められていないのだけれど、それにしてもオーソドックスなつくりだなぁ、というのが趣旨です。
>>芥川賞ならいいのでしょうか?
これに強引に答えるとしたら、「尚よくないでしょう」となるけど。。。 まあ、そういう話じゃない。
めみ says
芥川は純文学で、細やかな文学的な情景/人物描写をする作品を評価し、直木賞は、仰るように、娯楽、より現実味を帯びた、簡潔な表現の文章の作品が受賞するのかなと、漠然と考えていました。抜粋なさった箇所は、純文学らしい気がしたので、ふと思ってしまいました。
タクミ says
>芥川は純文学で、細やかな文学的な情景/人物描写をする作品を評価し、直木賞は、仰るように、娯楽、より現実味を帯びた、簡潔な表現の文章の作品が受賞するのかなと、漠然と考えていました。
あぁ、なるほど。
そういうことか。
純文学には、確かに、読者ウケということを考えすぎなくてもいいという面があると思います。
それに比べて大衆文学は読者を飽きさせないことを非常に重視しなければいけない。そういう意味では、いまいち空気読めていなくてもしっかり情景描写をしてもいいのは芥川路線の作品ということができますね。
でも、この引用部分のような路線の情景描写は、むしろ今日の純文学ではより良くないものだと思う。
これは、狙いがはっきりしています。
つまりクラシックな時代劇的気分に誘おうとする文章ですね。
そういう世界そのものが、テレビとかでありがちな、ファンのしっかり定着した種類のものです。つまり、前衛や斬新とは程遠い気分。
そういう手の情景描写というのは純文学でやっちゃダメでしょう。今日では断然ダメです。
純文学には(今日の)純文学なりの情景描写というものでなければなりません。
水面を描写していても、そこに泥臭いウナギがうごめいているくらいでないとダメなのです(笑)
ゆきみ大福 says
>本ちゃん?
本ちゃんはあるかどうか分からないけど、あれば是非
タクミ says
心の問題だよ、あんたの場合は。
じゅ~ぶん結婚できる素材です!
(反論無用)
めみ says
>純文学には(今日の)純文学なりの情景描写というものでなければなりません。
時代により、純文学も変遷してゆくんですね…わかっていなかったです。ありがとうございます。
タクミ says
>時代により、純文学も変遷してゆくんですね…
だって「前衛」なんだもん。
もう誰かがやった時点で次に進まなきゃならない。
直木賞だって若干はそうだし、ポップスなんかもそうです。
だから、まったく進化する気がない音楽を僕はよくけなすのです。