柔道代表監督暴力問題 2013/1/31 By 53 Comments 女子柔道の代表監督らが暴力をふるったという問題。難しいですね。 こういう時に、一部の人が決まって持ち出すのがアメリカとの違い。 米オリンピック委員会では以下のプログラムの元、コーチらの指導が行われているそうです。 「トップレベルのエリート選手ほど不法行為を経験しやすい」 「不法行為は結果的に選手のパフォーマンス低下につながる」 「体罰が指導の一環であると言う考えはいかなる場合も受け入れられない」 一番上のことはよく知りませんが、それ以外のふたつについて。 先日僕が記事に上げ、昨日大々的に告別式が執り行われた大鵬の場合は、まずゴリゴリの体罰指導の中で技量も人格も作り上げられたはずだ。 そのニュースに感動し、「夢をありがとう」とか思っちゃった後で、いやぁ体罰は絶対にいかんよ、か。 う~む・・・ それから僕の場合。 中学1年の時に体育教師のビンタで2度も吹っ飛ばされたことで人並みの大人らしくなれたと、自分では信じている。 そういうこともある。 教師はその時、絶対に体罰なんてしたくなかったのか。嫌々の愛の鞭だったか。 それはよくわからない。 実際にはちょっとむかついたのではないかと思う。 園田監督もそうかもしれん。 平常時に選手をしばいてやりたいとはよもや思っていなかろうが、でも、その瞬間にはやはりカッと来てやった部分もあるのだろう。 じゃあそれはだめなのか。 実は僕にとっては一つの理想形でもあったりするのです。 僕の場合はめったにその場で社員を怒るということがない。それはもちろん営業中であるためのデメリットが大きいからでもあり、そのことのメリットもあるが、一方で、終礼時などに持ち越すと、言い方に嫌味や憎悪が出てしまう気がして、本当は一瞬沸騰が双方にとって一番いいのではないかとも常々感じる。 それに、なにより自分の精神衛生に良い。 選手が昔は平気だった体罰を受け入れられない時代が来たのであれば、次には、監督が精神的ストレスを抱くことを受け入れられない時代が続いてもおかしくないだろう。 「体罰は絶対に受け入れられません」 「体罰できない精神的苦痛を俺は我慢できない」 「こりゃ五分五分だな」 なんてことにならんとも限らん。 いや、正直くだらなすぎるな・・・と思う昭和の男がここにひとり。 つまり、やはり体罰賛成寄りなのでしょうね。心の底では。
ル・カレ says 2013/1/31 at 9:48 PM 感情の爆発での体罰は、暴力。苦悩の末に叱るゴツンとは別物だと思います。 親自身が自信がなくて、手を上げずに育ててしまうから、何でも体罰にしてしまうのではないでしょうか。 人任せ、他力本願。 親が子供の教育を投げ出してしまった結果の悲劇とも考えられます。 昭和世代は、打たれ強いのですよ(笑) 返信
ベンジャミンバニー says 2013/1/31 at 10:17 PM タクミ先生、今晩は。 私の父は、キャラが濃いのではなく、「ワガママ」+「細かい」だけなのです…。 キャラ的には、家族の中で一番薄いかも…。 私だったら、三日も持たないのでそう考えると、母は強い!偉いな!!と思います☆☆☆ 私は、園田監督は辞めて当然だと考えます。今浮上している事実だけではなく、中身はもっと酷いものだったと思います。まず、ライバルである他国のコーチや選手が制止するというのは、常軌を逸した行動の場合にしか考えられません。さらに、ある選手には「柔道をやっていなかったら、お前は単なるブタだ!!」のようなことを言ったようですが…もう、話になりませんね。 しばらくは、柔道界は揺れると思いますが、訴えた15人の選手がこれから怯えずに柔道をして欲しいと考えます。 返信
猫又 says 2013/1/31 at 10:37 PM 体罰もどの程度か(力加減や頻度、年齢、何に対しての罰か、など)によって、世間の反応も違いそうですが…体罰に暴言も伴っていそうですし。 個人的な経験なので、必ずしもそうなるとは言えないですが… 体罰を受け続けて、性格が歪みました。多分、素質もあったのでしょうけど。 返信
noichigo says 2013/2/1 at 12:39 AM 難しいですね、 線引きが。しつけと虐待など…ある程度の痛みを知ることはマイナスではないと私は思います。 育てる側にも(心も含めて)痛みが伴う場合は時機が来た時に相手に伝わるのかも知れません。 返信
タクミ says 2013/2/1 at 11:17 AM >親自身が自信がなくて、手を上げずに育ててしまうから、何でも体罰にしてしまうのではないでしょうか。 それはあるだろね。 ふと思い出したけど、子供の時「手を上げる」という言葉の意味を知らなくて、漫画で、「このわたくしに手を上げるなんて!」と怒っているような描写を見て、どうして手を上げちゃいかんのか?と大いに疑問に感じたものでしたw 返信
タクミ says 2013/2/1 at 11:21 AM >私は、園田監督は辞めて当然だと考えます。今浮上している事実だけではなく、中身はもっと酷いものだったと思います。 そうだね。詳しいことはわからないけれど、園田監督のやったことの程度がはなはだしくて辞任すること自体をかばうつもりはありません。 >さらに、ある選手には「柔道をやっていなかったら、お前は単なるブタだ!!」のようなことを言ったようですが…もう、話になりませんね。 これはなんか笑える話な気もしますけどw 返信
タクミ says 2013/2/1 at 11:23 AM >体罰を受け続けて、性格が歪みました。多分、素質もあったのでしょうけど。 そうなの? でも、いまはとっても爽やかじゃん。 変に反論するわけじゃないが、本当は悪く作用していないのかもよ? 返信
タクミ says 2013/2/1 at 11:26 AM >線引きが。しつけと虐待など…ある程度の痛みを知ることはマイナスではないと私は思います。 個人のための教育なのか、社会のためのしつけなのか、という問題もあるよね。 僕らが子供のころまでは、多分に社会のためにわれわれはしつけられていた。 世の中に迷惑をかけないように、社会の成員としてりりっぱに持ち分を果たすように。 それが欧米式スタイルの輸入で否定されているのでしょう。 でも、本来悪いことでもないんだよね。 組織に適合しやすいようにしつけてもらえれば、苦労も少なく日々を渡れるわけでして。 返信
猫又 says 2013/2/1 at 10:53 PM 爽やか…(*^。^*) 嬉しいです。ありがとうございます。 先のコメントでは触れていなかったのですが、 20歳になる頃から、体罰からの悪影響を抜くために、色々と努力しました。今も継続中です。 特に幼児~小学生まで日常的に(そこそこ過激な)体罰があったので、ある程度成長してから受けるケースとは違うかのもしれないですね。 どちらにしても、罪状と罰が明らかに釣り合わないのはよろしくないかと。 返信
noichigo says 2013/2/2 at 12:54 AM 社会に適合してるかどうか分かりませんが私の場合は雇う側にとって「都合の良い」働き手でしょう…就職したハタチの頃既に古いタイプで(笑)悔しいけど何事も自業自得と受け止めてます↓ ブタはヒドい(>_<)ですけど若貴効果で大相撲が若い女性に人気の頃ビートたけしさんの「相撲取りなんて長髪のデブなんだからさ~」みたいな発言に当時ちょっと笑ってしまいました。難しい記事なのにすみません。 返信
タクミ says 2013/2/3 at 3:27 PM >特に幼児~小学生まで日常的に(そこそこ過激な)体罰があったので、ある程度成長してから受けるケースとは違うかのもしれないですね。 無責任な論評で申し訳ないけど、だから独特の古風な人柄になっているのかもしれないね。 僕にはいまどき珍しい凛とした美しさで、とても好ましいものに思えますけど。 >どちらにしても、罪状と罰が明らかに釣り合わないのはよろしくないかと。 それはまったくその通り。 返信
タクミ says 2013/2/3 at 3:30 PM >ブタはヒドい(>_<)ですけど若貴効果で大相撲が若い女性に人気の頃ビートたけしさんの「相撲取りなんて長髪のデブなんだからさ~」みたいな発言に当時ちょっと笑ってしまいました。 末節の話に枝乗っかりしちゃいますけど、これがおもしろかった時代というのもなにか懐かしいね。 たけしがこういう刺激的な発言で笑いを取っていったのはある種センセーショナルなことだった。 でも、それらは下敷きにされて十分に消化され、今日その言葉を聞いてもありきたり感が拭えない。 時代の進展というのはすごいことだなと思います。 返信
mica says 2013/2/3 at 11:13 PM >中学1年の時に体育教師のビンタで2度も吹っ飛ばされた 何をしたんですか?笑 我が家は体罰派で 幼稚園~小学生の頃は ピアノを弾けば必ず母のビンタで鼻血出して 鍵盤を血で染めてました(>.<) 返信
タクミ says 2013/2/3 at 11:40 PM >何をしたんですか?笑 忘れ物をした時に、ちょっと言い訳めいたことを言ったのです。 その教師は担任でもあったので、僕にそういうところがあることを見抜いてたんだよね。 >我が家は体罰派で・・・ まあ、micaちゃんも大概変わってるから、それが良い方向に働いたのかどうかは藪の中だねぇ(笑) でも、芸術家としてはよかった可能性が高い。 桑田が先日も、野球の指導で体罰はいい方向に一切働かないということを言っていたようですけど、その真偽もはなはだ疑問ですな。 いったい何を根拠にあの野球バカは話しているのか。 返信
noichigo says 2013/2/4 at 12:50 AM ちょうどキムタク、江口さんが人気で長髪がモテてた時代でしたね(^-^) 桑田さんのは昨日TV、今日新聞で。私は一筋縄ではいかない仕事や勝負の世界で皆が楽しく和気あいあい~な雰囲気ってホントか!?と思う面もあり、人を感動させたり国の代表に選ばれたり人の上に立つ人は並ならぬ努力や大変な思いをしたが故…であってほしい(>_<) micaさんのコメントは嬉しかったです。 何となく 恵方意識し カレー食う われは「黄」苺 エイエイエイオー! 野苺立春の短歌m(_ _)m 返信
ベンジャミンバニー says 2013/2/4 at 7:29 AM 鍵盤を血で染めるって…私なら、貧血起こして失神します…。 芸術家の方々、例えばフジコ・ヘミングさんもお母様が非常に厳しかったのだそうな。 私は、社会性のためと言いますか、例えば公共の場で子供がうるさく騒いだりした場合に、親が手を挙げるのは賛成です。むしろ、最近の親はそれが全然出来ていません。 しかし、実際にあった例ですが、いきすぎた教育熱のために、「包丁を振り回しながら、家の中で子供を追いかける」「子供を椅子にくくりつける」「テニスラケットで身体中が痣だらけになるまで殴りつける」こういったのは、狂気の沙汰としか言いようがないですね。 まあ、上記の例の親達からは「子供を育てていないのに、何を言うザマス」的な返事が返ってきそうですが…。 返信
秋穂 says 2013/2/4 at 8:10 PM おかげさまで秘書検定1級に合格しました 筆記の後に面接形式の実技試験があるので、試験当日だけ メイクしてもらおうかなと考えたりもしましたが 1級を受験するのに、自分ひとりでオフィスメイクのひとつも 満足に出来ないと言うのは、よくないと思いメイクレッスン受ける事にしたのです。 ※記事の内容と関係ない報告ですみません。 最新の記事なのでこにちら書いただけであって 決してレッスンをスパルタ式にしてほしいと言うわけではありません 返信
猫又 says 2013/2/4 at 11:39 PM 確かに、古風な雰囲気は、躾が古風なものだったからだと思います。 目的は必ずしも間違っていなかったのだと思います。 手っ取り早い手段をつい多用してしまったというだけで。 そう思えるまでかなり葛藤がありましたけど(^^;) それから、古風と言われる時(特に同性)は少し見下げるような響きを伴っているのがほとんどだったので、コンプレックスでした。 でも先生の「古風」は、好ましい言葉として表現してくださるので、とても嬉しいです。ありがとうございます♪ 返信
noichigo says 2013/2/5 at 12:48 AM ♪秋穂さん 秘書検定1級合格おめでとうございます。良い春になりましたね。素敵な秘書さんになって下さいねp(^-^)q ♪猫又さん つらい経験をなさってたんですね。克服する努力…頭が下がります。いつも知的で素敵だなって思いながら読ませて頂いてます(*^ー^)ショパンの記事のコメントなんてワタシ恥ずかしい(>_<)笑 返信
こま says 2013/2/5 at 9:02 PM 躾と体罰は違うよ。 それに体罰我慢して受け入れたら成長できるてのも甘い幻想です。躾は社会性を養う為には便利かも。私は甘甘で育ったので修正不可人ですが、注意を受け入れる大変さと立派さはわかりますよ。ちなみに現代では注意したら逆恨みにあいます。 日本人はどこに向かっているのかな。 返信
猫又 says 2013/2/5 at 10:39 PM noichigoさん、コメントありがとうございます。 動機はそんなに大層なものではないのです。 恨みが強いと、その対象に似ていく と心理学の授業でやったからなんです。 恨みが自分の中に根を張っている自覚があったので、このままではマズいと思いまして… 話は変わりますが、立春の短歌に吹き出してしまいました(笑) 無言で一皿食べ切れたら、御利益があるでしょうか? 返信
noichigo says 2013/2/6 at 3:07 AM 猫又さんに笑って頂いたのが御利益ですよ。嬉しい(≧∇≦*)コメントの場を与えて下さっているタクミさんに…ありがとう。 心理学は「心理テスト」のイメージで楽しそうと思ってたんですが前の店舗で一緒に働いていたアルバイトの大学生が心理学を専攻していて話を聞いてたらとても大変そうでf^_^; 私は死ぬ時に「ヨシッ」って息を引き取るのが理想…そうなるための生き方をしていけたらなと思ってます。難しくてヘコたれてばかりですけど(笑) 返信
タクミ says 2013/2/6 at 6:08 PM >ちょうどキムタク、江口さんが人気で長髪がモテてた時代でしたね(^-^) 僕は癖毛で、長髪はなんどかトライしたけれどいつも途中で美容師に切られてしまった。 恵方巻きの短歌はなかなかに秀逸かと。 返信
タクミ says 2013/2/6 at 6:10 PM >私は、社会性のためと言いますか、例えば公共の場で子供がうるさく騒いだりした場合に、親が手を挙げるのは賛成です。むしろ、最近の親はそれが全然出来ていません。 そういうことをされずに育つと、きっと天才や芸術家になる確率は幾分か上がるのでしょうが・・・ 一般にはデメリットの方がだいぶ大きいと思います。 返信
タクミ says 2013/2/6 at 9:14 PM >躾と体罰は違うよ。 つうかジャンルが違うでしょう。 躾のために体罰も与えるとか、躾に含まれない体罰もあるとか、そういうことだよね。 犬猫の躾をするのに体罰が有効なように、躾に体罰が含まれるのは自然な話です。 この度僕が一番ひっかかるのは、怒ってしてしまうのはイコールアウトか、ということ。 もちろん程度問題であるが、セーフの範囲というのもやっぱあるのではないか。 一生懸命尽くしている相手が気の入っていない練習や試合をしていると頭にきてつい手が出る。 説教も怒りの報復も入り混じった状態。 でも、それもマジ沸き起こってくる衝動なんだから動物として悪ではないでしょう? 要は、「これからはそれを悪とします」という話。 人間として本来正しいとも間違っているとも言い難いことを、総合的に見てこれからはそうしましょうorつうか、今だいたいそんな時代なの知ってる?というくらいの話でしょう。 そりゃ僕が高校生だった頃の柔道部なんてものすっごい体罰があって、そしてそれは正しいことだったのです。 それが、ボチボチ悪になりますよ、と。そういうことでしょう。 返信
noichigo says 2013/2/7 at 12:18 AM 20代後半の長髪のタクミさんをイメージ…ちょっとカッコ良過ぎますね、癖毛で良かったかも(*^ー^)笑 秀逸と いう言の葉に 「やったぜっ!」と 月光なき夜が きらら輝く 野苺 帰り道の短歌 返信
雪だるまん says 2013/2/18 at 9:41 AM 初めまして。2月6日に南青山のサロンでメイクをしていただき、たくみさんの大ファンになってしまった昭和な考えの者です。「体罰」という言葉で全てを表現してしまうのは疑問だらけですんね。明らかに、危険な体罰はいつか罰せられると思います。しかし人の成長過程では色々な事がありますよね。小さい時に喧嘩して、いじわるして仲直りして、また喧嘩して鼻血だして先生に叱られて、授業中にうるさくして教科書で頭をゴツンとされて、運動部では怒鳴られ、ピンタをされて(なにくそ~)と思ったり。それが普通の人間のやりとりです。感情もありますしね。運動部なんて、ビンタなんて普通だと思います。それだけ一生懸命なんですよ。人はその人に関心がなくあきらめたら無関心になりますもん・・・・・・。 返信
タクミ says 2013/2/20 at 4:00 PM 雪だるまんさんいらっしゃい。 先日はありがとうございました。 >「体罰」という言葉で全てを表現してしまうのは疑問だらけですんね。 そうですね。そもそも「体罰」の定義ができていないよう。 >運動部なんて、ビンタなんて普通だと思います。 中学の時の野球部なんてマジえぐかった。 でも、僕たちは、だからこそ、「中高運動部でした」って子を信頼して採用しているんですね。 厳しく、そして若干理不尽でない運動部を出ていてもあまり魅力はありません。 >感情もありますしね。 くどいようだけれど、僕が一番言いたいのはそこです! 愛から出るものはいい(あるいはそれも駄目)けれど、感情からくる体罰はダメ、っていうこと自体に反論したい。 体罰なんてもんはほとんど全部が感情混じりじゃ! 返信
雪だるまん says 2013/2/21 at 10:27 AM こんにちは。 ご多忙な中、コメントに返事を下さってありがとうございます。おまけに長い歴史のあるブログなのに突然参加で・・・。しかもどうしたら投稿できて、顔と星のマークの意味も分からずに取りあえずクリックしてみました(笑)そしたら星が5つ出てました ところで、なんでこんな世の中になってしまったんですかね。たくみさんはどう思いますか? 私は個々の家庭でのしつけが、違うものになってきてしまったのかと。例えば、子供が「今日先生にぶたれた」と言ったら「どうしたの」「先生のいうことを聞かなかったから」「そりゃあ、あんたが悪い」で終ればいいのに。「先生ぶったの?やな先生ね・・・」なんて返す親も多いですもん。だから子供もつきあがるんですよね。 なんて、どんどん話題がずれてしまいました。失礼します 返信
タクミ says 2013/2/21 at 4:43 PM どうでしょうねぇ。 平和で生きやすいと心はその分弱くなるんじゃないかな。 戦後の風が残っていたころは日本人はいろいろと必死だったけれど、現代はなんやかや言って生きるのは難しくないわけで。 仕事がないと言いながら、3K仕事には誰もつかないんですから、やっぱやわなのは間違いない。 いつの時代の人の方が素質的に優れているというわけでは絶対ないのだから、教育の差なんだけれど、平和だとその辺が緩むんでしょうね。 自分らの時代はましだったように皆言うけど、今の子供たちの親がまさにその自分たちの世代なのだから、あんまり偉そうには言えないよね。 それよりも今、この瞬間にどちらに向かうのかということが大事なんじゃないでしょうか。 これから、さらに「体罰」無き世の中を目指すのが子供や若者のためになるのか、それとも本気で指導している人間のある程度の暴走なら許してやろうという方向に舵を切り直すのか。 その辺の判断を求められているのではないかな。 僕は少数派と言われるでしょうが、体罰をもう一度肯定し直したいです。桑田の言うことなんか糞喰らえということですな。 返信
猫又 says 2013/2/22 at 12:20 AM 体罰が行き過ぎる時に、感情はどうなっているのか?と暫く考えてました。 始めから痛めつける目的があったのか。それとも叩きだしたら、歯止めがきかなくなってしまったのか。 前者は言語道断ですが、後者は誰にでも起こり得そうな怖さを感じます。 経験からは、素手でなく物で叩くと過剰なものになりがちだと思います。 返信
noichigo says 2013/2/22 at 2:22 AM 私は「少数派」ですよ。 いろんな面で生きにくいけれど生き方は変えらないかも…。 幼少の頃「かんのむし」っていうのかな、泣き叫ぶnoichigoを祖母と母が押さえつけ「やいと」をすえられました。ツボなのか痕が残らない配慮なのか右手人差し指を曲げた第2関節のシワの所に。 家庭は男尊女卑、食卓での座る位置は決められていて弟は許されても私はダメなこととかありました(…古いですね) うちの父は素手で(笑) スナップが効いて後からくる感じ(^-^;)タバコの小さな火傷の痕も左手にありますよ(笑) そんな古き良き(?)時代遅れの家庭で育ったことが良いのか悪いのかは正直分からないけど、何でもかんでも体罰をいじめ 暴力 軍隊的など…に直結してしまうのは違う気がします、私はね。 戦争が67年もの間ない国の「平和」のひずみ、のへ~としたタガがゆるんだ状態でどうやって心身をは鍛えるのか?国や誰かのせいにするのはラクかもしれんけど自己責任で目の前のことに全力投球せぇっちゅうねん! 以上、少数派の戯言でしたm(_ _)m 返信
タクミ says 2013/2/22 at 12:09 PM 体罰に拍車がかかっていくというパターンね。 そういうのを普通に想起するということ自体が希少のケースと思いますよ。 普通、体罰はやはり行いながらも「あ~、やっちまったなぁ」と思いながらになるものじゃないかしら。 いや、僕自身が肯定派と言いながら手の出ちゃう方とかでは全然ないので、そっち側からの気持ちはよくわかんないのか。 返信
タクミ says 2013/2/22 at 12:17 PM へ~っ、noihigoちゃんの環境も厳しいですね。 僕とこなんてそれに比べると緩いな。 子だくさんだった時代は、うるさい子供を黙らせるために、今日ならペットにしかしないようなことをしていたということでしょう。 そして、それもこの世の一つの真理を表していると思うんですね。 さて、現代ではどうあるべきなのか? 体育会系の現場などで、タガが緩んだ状態だなと指導者が感じた場合に(怒り交じりで)体罰が出ることをただただ「よくないこと」の中に突っ込んでしまうこと。 これって昨今流行りの思考停止の一種でしょう。 ケース・バイ・ケースで認めていく方がやっぱり難しい。でも、それをやらないと色々なものを失っていくと思うんですよね。 それから、ちょっと前には普通に横行していたものが一もにもなく「悪」「一利なし」でありえるはずがないなんて、普通に考えれば誰にでもわかることなのにね! 返信
めみ says 2013/2/22 at 6:28 PM よかったぁ。ひょっとして、先生、手を挙げるタイプなんでは?と思いだしてました。(笑) 教育について、なるほどという論評があったら、リンクします。 返信
猫又 says 2013/2/22 at 11:31 PM 体罰否定の流れが出てきたのは、行き過ぎた体罰での死亡や大怪我などの事件が報道されてからなのかなぁ…と何となく思っていました。 そういう訳でもないのでしょうか? 我が家では、3歳くらいから革製のベルトを素尻に振り下ろすという方式が主にとられていました。 素手でビンタされる時より回数が増えやすかったので、エスカレートする体罰のイメージがすぐ浮かぶのかもしれません。 返信
タクミ says 2013/2/23 at 10:31 AM めみちゃんのリンクはタイミングあれば見ますね。 >体罰否定の流れが出てきたのは、行き過ぎた体罰での死亡や大怪我などの事件が報道されてからなのかなぁ…と何となく思っていました。 そういう訳でもないのでしょうか? そうだとしたら、柔道の体罰とは本来「別件」の話ですね。 そういう判断ミスは、基本、体罰はいかん、というのとはまた違う話だ。 >素手でビンタされる時より回数が増えやすかったので、 そうかなぁ・・・ 素手ビンタは自分も痛いから収まっていくのでしょうか。ようわからん。 返信
noichigo says 2013/2/23 at 6:57 PM ねっ! その普通、が難しい…個性やオンリーワンが大切にされる時代ならば、タクミさんがおっしゃるように大変だけどケースバイケースの応対をと私は思います。 TVのWBC応援バラエティー番組で紹介された話で、日本シリーズで捕手のサインを見逃すほど舞い上がった巨人の澤村投手の頭をマウンドで上からバシッ!と叩く阿部さんの映像を先日見ました。これが体罰で暴力 悪の入口と捉えるならば、スポーツなどするな!させるな!関わるな!という意見です。 うちは戦死した伯父と一番下の年の差が20才あるんですが、きかんぼうでクソガキで癇癪持ちの父ですら姉兄達が帰ってくると座敷に両手をついて挨拶しているのを見て子供心にホッとしました(笑) 自分のことは出来損ないの失敗作だと理解してますm(_ _)m 返信
タクミ says 2013/2/24 at 12:20 PM あの阿部のパコンッ!ね。 あれを体罰という人は今はいないと思いますが、でも、ひと昔前までは同様に体罰と誰も呼ばなかったようなものも含まれてきていると思うので、将来はわかんないよ。 基本はそういう刺激を与えることでハッとさせよう、気づかそうということ、そしてこっちもちょっとイラッときて・・・なのだから、普通に「体罰」と同種のもののわけだしね。 返信
noichigo says 2013/2/25 at 12:25 AM そう私も思います。大観衆とTV視聴者の目にさらされたマウンドで恥かかせやがって!ととる可能性もありますもんね。番組で(澤村投手の置かれた状況や2人の信頼関係まで説明した上で)素敵な話として紹介されていたのが気になりました。ここまでせんと現代人には伝わらないのかと。 返信
猫又 says 2013/2/25 at 6:33 PM 今回の柔道の監督のケースは判断ミスの部類と認識し ていて、選手達が上に訴えていなければ、事件になった可能性が高いとの見方から、否定派が声を高くしたのかと思っていました。 危険性のあるものは全て排除、という考えから出たのであれば、それは短絡的だと思います。 ただ、エスカレートする場合に関しては、監督を雇う側が(稀なケースだとしても)対応策を前もって考えておくのは無駄ではないと思います。 本文にあったアメリカの条文(?)ですが、日本でそのまま取り入れるのはどうかな…?と私も感じました。 一つには、アメリカと日本では、感情を表現する時の強さが国民性として違うこと。 もう一つは、(競技にもよりますが)アメリカチームを見ていると監督たちに大柄な人が多いと感じることです。 体罰を与えた時の選手への物理的ダメージが日本でのものより必然的に大きくなりそうな… 返信
noichigo says 2013/2/25 at 8:27 PM 猫又さん 革製のベルトの話…幼い猫又さんを思わず抱きしめてました(;_;) 子供の立場しか知らないけれど、おっぱい ねんね だっこ…物心つく前までの時間は一番有り難くて幸せなのかな、と。私のタバコの痕も3才位なんですが20年以上経って「アナタそんなのあった?」と帰省時に母に聞かれて話したら「お父さん!!」って怒ってくれて。 父、苦笑いって感じでした(笑) 年齢を重ねてそんな小さな痕も目立たなくなり少し寂しいような気もしてます、思い出が遠くなってしまったようで。 返信
猫又 says 2013/2/26 at 11:25 PM noichigoさん ありがとうございます。あったかいです(o^^o) 私も子供としての立場しか知りませんが、(若い頃には解らなかった)両親の置かれた状況が考慮できるくらいにはなってきました。 私は何年も跡が残るようなお仕置きはされませんでしたが、まだ恐怖感と絶望感は薄れずに残っています。 これは性格的なものも関係していそうですので、気長に修行(?)するしかないかな…と思います。 必死に忘れようともがいていた時期は過ぎたものの、こういう話題で反応が感情的になるので、まだまだ未熟者です…精進します。 返信
タクミ says 2013/2/26 at 11:28 PM そうなの? 柔道の暴力ってそんなすさまじいものだったのかな? それだと僕の認識違いになるけど。 体罰に対する考え方の違いは、個人の尊厳とかそういうものに対する違いじゃないですか、主に。 いわゆる「個人」の強い国と、そうでもない国の違い、でも近いかな。 返信
noichigo says 2013/2/27 at 2:00 AM 猫又さん こんばんは。こちらはホットココアで自己発電中(笑) まだまだ未熟者、時には感情的でいいと思います(*^ー^)でもでも怒哀の倍は喜楽でね♪ なんて。ちなみにこちらは憎しみ(?)の対象である父似です(>_<)笑 返信
猫又 says 2013/2/27 at 11:45 PM 私が見たニュースでは、執拗なものや怪我をしている選手に対してのものがありました。 ふと思い出したのですが、欧米の有名童話での体罰ってかなり厳しいものですね。教室に樫の棒があるとか読んだことがあります。 赤毛のアンでは、教師になったアンが体罰をするか否か悩んでました。 若草物語でも、エイミーが教師から見せしめのような体罰を受けてました。 他にも、小公女に台詞だけはありましたし、トムソーヤにも… どうも聖書に端を発しているやり方のようです。 となると、欧米の方が厳しい体罰の伝統が長そうな気がします… 返信
タクミ says 2013/2/28 at 1:13 PM >どうも聖書に端を発しているやり方のようです。 となると、欧米の方が厳しい体罰の伝統が長そうな気がします… にゃるほど。それはおもしろい。 でも、体罰って自然のものじゃないかなぁ。 子だくさんな時代なら特にそうだけれど、人間のしつけは犬猫に対するのと大きくは違わないんじゃない?本来。 自分たちが楽に子育てするためでもあり、社会で間違いを起こさないようしつけることを、いわゆる「人間性」よりも少し上に置く態度でもあると思いますが。 返信
猫又 says 2013/3/1 at 9:52 PM 聖書のどのへんから来た体罰なのかな…と調べてみたら、原罪の思想かららしいです。 原罪の何たるかを調べたのですが…調べるほど解らなくなりました。一神教は難しい… どうも私の体罰のイメージは、かなり世間とずれているようです… 体罰が自然なことかどうか、今はまるでわかりません。 そうであっても、閉鎖的な環境で大義名分がある時には、心理学的にエスカレートしやすいそうなので、慎重であって欲しいです。 返信
タクミ says 2013/3/2 at 12:05 PM >原罪の何たるかを調べたのですが…調べるほど解らなくなりました。 人間は生まれながらに不完全である、ということではないの? >体罰が自然なことかどうか、今はまるでわかりません。 そうですねぇ。 発想としてそれを持たない状態であればそれが「自然に」出ることもまたないかもしれませんから、そういう意味では自然なことと言えないかもね。 返信
猫又 says 2013/3/3 at 1:58 PM うっかり、原罪が生じた理由を調べてしまったので… 宗派によってちょっとずつ解釈が違ったり、 原罪自体を認めていない宗派があったり。 やけに詳しい説明をいきなり読んだので混乱しました。 歴史が長い分、枝分かれの仕方が尋常じゃないですね。 返信
タクミ says 2013/3/3 at 5:16 PM 多分そういうのはどうでもいいんだと思う。 暇だったり、もともと不完全であるために深い教義解釈って起こるのでしょうけれど、そういうの、本当は大したことじゃない。 教科書に載っているのとか、それを膨らませたような新書とかで理解すれば十分なのだと思いますね。宗教は。 返信
ル・カレ says
感情の爆発での体罰は、暴力。苦悩の末に叱るゴツンとは別物だと思います。
親自身が自信がなくて、手を上げずに育ててしまうから、何でも体罰にしてしまうのではないでしょうか。
人任せ、他力本願。
親が子供の教育を投げ出してしまった結果の悲劇とも考えられます。
昭和世代は、打たれ強いのですよ(笑)
ベンジャミンバニー says
タクミ先生、今晩は。
私の父は、キャラが濃いのではなく、「ワガママ」+「細かい」だけなのです…。
キャラ的には、家族の中で一番薄いかも…。
私だったら、三日も持たないのでそう考えると、母は強い!偉いな!!と思います☆☆☆
私は、園田監督は辞めて当然だと考えます。今浮上している事実だけではなく、中身はもっと酷いものだったと思います。まず、ライバルである他国のコーチや選手が制止するというのは、常軌を逸した行動の場合にしか考えられません。さらに、ある選手には「柔道をやっていなかったら、お前は単なるブタだ!!」のようなことを言ったようですが…もう、話になりませんね。
しばらくは、柔道界は揺れると思いますが、訴えた15人の選手がこれから怯えずに柔道をして欲しいと考えます。
猫又 says
体罰もどの程度か(力加減や頻度、年齢、何に対しての罰か、など)によって、世間の反応も違いそうですが…体罰に暴言も伴っていそうですし。
個人的な経験なので、必ずしもそうなるとは言えないですが…
体罰を受け続けて、性格が歪みました。多分、素質もあったのでしょうけど。
noichigo says
難しいですね、
線引きが。しつけと虐待など…ある程度の痛みを知ることはマイナスではないと私は思います。
育てる側にも(心も含めて)痛みが伴う場合は時機が来た時に相手に伝わるのかも知れません。
タクミ says
>親自身が自信がなくて、手を上げずに育ててしまうから、何でも体罰にしてしまうのではないでしょうか。
それはあるだろね。
ふと思い出したけど、子供の時「手を上げる」という言葉の意味を知らなくて、漫画で、「このわたくしに手を上げるなんて!」と怒っているような描写を見て、どうして手を上げちゃいかんのか?と大いに疑問に感じたものでしたw
タクミ says
>私は、園田監督は辞めて当然だと考えます。今浮上している事実だけではなく、中身はもっと酷いものだったと思います。
そうだね。詳しいことはわからないけれど、園田監督のやったことの程度がはなはだしくて辞任すること自体をかばうつもりはありません。
>さらに、ある選手には「柔道をやっていなかったら、お前は単なるブタだ!!」のようなことを言ったようですが…もう、話になりませんね。
これはなんか笑える話な気もしますけどw
タクミ says
>体罰を受け続けて、性格が歪みました。多分、素質もあったのでしょうけど。
そうなの?
でも、いまはとっても爽やかじゃん。
変に反論するわけじゃないが、本当は悪く作用していないのかもよ?
タクミ says
>線引きが。しつけと虐待など…ある程度の痛みを知ることはマイナスではないと私は思います。
個人のための教育なのか、社会のためのしつけなのか、という問題もあるよね。
僕らが子供のころまでは、多分に社会のためにわれわれはしつけられていた。
世の中に迷惑をかけないように、社会の成員としてりりっぱに持ち分を果たすように。
それが欧米式スタイルの輸入で否定されているのでしょう。
でも、本来悪いことでもないんだよね。
組織に適合しやすいようにしつけてもらえれば、苦労も少なく日々を渡れるわけでして。
猫又 says
爽やか…(*^。^*)
嬉しいです。ありがとうございます。
先のコメントでは触れていなかったのですが、
20歳になる頃から、体罰からの悪影響を抜くために、色々と努力しました。今も継続中です。
特に幼児~小学生まで日常的に(そこそこ過激な)体罰があったので、ある程度成長してから受けるケースとは違うかのもしれないですね。
どちらにしても、罪状と罰が明らかに釣り合わないのはよろしくないかと。
noichigo says
社会に適合してるかどうか分かりませんが私の場合は雇う側にとって「都合の良い」働き手でしょう…就職したハタチの頃既に古いタイプで(笑)悔しいけど何事も自業自得と受け止めてます↓
ブタはヒドい(>_<)ですけど若貴効果で大相撲が若い女性に人気の頃ビートたけしさんの「相撲取りなんて長髪のデブなんだからさ~」みたいな発言に当時ちょっと笑ってしまいました。難しい記事なのにすみません。
タクミ says
>特に幼児~小学生まで日常的に(そこそこ過激な)体罰があったので、ある程度成長してから受けるケースとは違うかのもしれないですね。
無責任な論評で申し訳ないけど、だから独特の古風な人柄になっているのかもしれないね。
僕にはいまどき珍しい凛とした美しさで、とても好ましいものに思えますけど。
>どちらにしても、罪状と罰が明らかに釣り合わないのはよろしくないかと。
それはまったくその通り。
タクミ says
>ブタはヒドい(>_<)ですけど若貴効果で大相撲が若い女性に人気の頃ビートたけしさんの「相撲取りなんて長髪のデブなんだからさ~」みたいな発言に当時ちょっと笑ってしまいました。 末節の話に枝乗っかりしちゃいますけど、これがおもしろかった時代というのもなにか懐かしいね。 たけしがこういう刺激的な発言で笑いを取っていったのはある種センセーショナルなことだった。 でも、それらは下敷きにされて十分に消化され、今日その言葉を聞いてもありきたり感が拭えない。 時代の進展というのはすごいことだなと思います。
mica says
>中学1年の時に体育教師のビンタで2度も吹っ飛ばされた
何をしたんですか?笑
我が家は体罰派で
幼稚園~小学生の頃は
ピアノを弾けば必ず母のビンタで鼻血出して
鍵盤を血で染めてました(>.<)
タクミ says
>何をしたんですか?笑
忘れ物をした時に、ちょっと言い訳めいたことを言ったのです。
その教師は担任でもあったので、僕にそういうところがあることを見抜いてたんだよね。
>我が家は体罰派で・・・
まあ、micaちゃんも大概変わってるから、それが良い方向に働いたのかどうかは藪の中だねぇ(笑)
でも、芸術家としてはよかった可能性が高い。
桑田が先日も、野球の指導で体罰はいい方向に一切働かないということを言っていたようですけど、その真偽もはなはだ疑問ですな。
いったい何を根拠にあの野球バカは話しているのか。
noichigo says
ちょうどキムタク、江口さんが人気で長髪がモテてた時代でしたね(^-^)
桑田さんのは昨日TV、今日新聞で。私は一筋縄ではいかない仕事や勝負の世界で皆が楽しく和気あいあい~な雰囲気ってホントか!?と思う面もあり、人を感動させたり国の代表に選ばれたり人の上に立つ人は並ならぬ努力や大変な思いをしたが故…であってほしい(>_<) micaさんのコメントは嬉しかったです。 何となく 恵方意識し カレー食う われは「黄」苺 エイエイエイオー! 野苺立春の短歌m(_ _)m
ベンジャミンバニー says
鍵盤を血で染めるって…私なら、貧血起こして失神します…。
芸術家の方々、例えばフジコ・ヘミングさんもお母様が非常に厳しかったのだそうな。
私は、社会性のためと言いますか、例えば公共の場で子供がうるさく騒いだりした場合に、親が手を挙げるのは賛成です。むしろ、最近の親はそれが全然出来ていません。
しかし、実際にあった例ですが、いきすぎた教育熱のために、「包丁を振り回しながら、家の中で子供を追いかける」「子供を椅子にくくりつける」「テニスラケットで身体中が痣だらけになるまで殴りつける」こういったのは、狂気の沙汰としか言いようがないですね。
まあ、上記の例の親達からは「子供を育てていないのに、何を言うザマス」的な返事が返ってきそうですが…。
秋穂 says
おかげさまで秘書検定1級に合格しました
筆記の後に面接形式の実技試験があるので、試験当日だけ
メイクしてもらおうかなと考えたりもしましたが
1級を受験するのに、自分ひとりでオフィスメイクのひとつも
満足に出来ないと言うのは、よくないと思いメイクレッスン受ける事にしたのです。
※記事の内容と関係ない報告ですみません。
最新の記事なのでこにちら書いただけであって
決してレッスンをスパルタ式にしてほしいと言うわけではありません
猫又 says
確かに、古風な雰囲気は、躾が古風なものだったからだと思います。
目的は必ずしも間違っていなかったのだと思います。
手っ取り早い手段をつい多用してしまったというだけで。
そう思えるまでかなり葛藤がありましたけど(^^;)
それから、古風と言われる時(特に同性)は少し見下げるような響きを伴っているのがほとんどだったので、コンプレックスでした。
でも先生の「古風」は、好ましい言葉として表現してくださるので、とても嬉しいです。ありがとうございます♪
noichigo says
♪秋穂さん
秘書検定1級合格おめでとうございます。良い春になりましたね。素敵な秘書さんになって下さいねp(^-^)q
♪猫又さん
つらい経験をなさってたんですね。克服する努力…頭が下がります。いつも知的で素敵だなって思いながら読ませて頂いてます(*^ー^)ショパンの記事のコメントなんてワタシ恥ずかしい(>_<)笑
こま says
躾と体罰は違うよ。
それに体罰我慢して受け入れたら成長できるてのも甘い幻想です。躾は社会性を養う為には便利かも。私は甘甘で育ったので修正不可人ですが、注意を受け入れる大変さと立派さはわかりますよ。ちなみに現代では注意したら逆恨みにあいます。
日本人はどこに向かっているのかな。
猫又 says
noichigoさん、コメントありがとうございます。
動機はそんなに大層なものではないのです。
恨みが強いと、その対象に似ていく と心理学の授業でやったからなんです。
恨みが自分の中に根を張っている自覚があったので、このままではマズいと思いまして…
話は変わりますが、立春の短歌に吹き出してしまいました(笑)
無言で一皿食べ切れたら、御利益があるでしょうか?
noichigo says
猫又さんに笑って頂いたのが御利益ですよ。嬉しい(≧∇≦*)コメントの場を与えて下さっているタクミさんに…ありがとう。
心理学は「心理テスト」のイメージで楽しそうと思ってたんですが前の店舗で一緒に働いていたアルバイトの大学生が心理学を専攻していて話を聞いてたらとても大変そうでf^_^;
私は死ぬ時に「ヨシッ」って息を引き取るのが理想…そうなるための生き方をしていけたらなと思ってます。難しくてヘコたれてばかりですけど(笑)
タクミ says
>ちょうどキムタク、江口さんが人気で長髪がモテてた時代でしたね(^-^)
僕は癖毛で、長髪はなんどかトライしたけれどいつも途中で美容師に切られてしまった。
恵方巻きの短歌はなかなかに秀逸かと。
タクミ says
>私は、社会性のためと言いますか、例えば公共の場で子供がうるさく騒いだりした場合に、親が手を挙げるのは賛成です。むしろ、最近の親はそれが全然出来ていません。
そういうことをされずに育つと、きっと天才や芸術家になる確率は幾分か上がるのでしょうが・・・
一般にはデメリットの方がだいぶ大きいと思います。
タクミ says
よし、秋穂のレッスンはスパルタ、体罰ありね。
タクミ says
>躾と体罰は違うよ。
つうかジャンルが違うでしょう。
躾のために体罰も与えるとか、躾に含まれない体罰もあるとか、そういうことだよね。
犬猫の躾をするのに体罰が有効なように、躾に体罰が含まれるのは自然な話です。
この度僕が一番ひっかかるのは、怒ってしてしまうのはイコールアウトか、ということ。
もちろん程度問題であるが、セーフの範囲というのもやっぱあるのではないか。
一生懸命尽くしている相手が気の入っていない練習や試合をしていると頭にきてつい手が出る。
説教も怒りの報復も入り混じった状態。
でも、それもマジ沸き起こってくる衝動なんだから動物として悪ではないでしょう?
要は、「これからはそれを悪とします」という話。
人間として本来正しいとも間違っているとも言い難いことを、総合的に見てこれからはそうしましょうorつうか、今だいたいそんな時代なの知ってる?というくらいの話でしょう。
そりゃ僕が高校生だった頃の柔道部なんてものすっごい体罰があって、そしてそれは正しいことだったのです。
それが、ボチボチ悪になりますよ、と。そういうことでしょう。
noichigo says
20代後半の長髪のタクミさんをイメージ…ちょっとカッコ良過ぎますね、癖毛で良かったかも(*^ー^)笑
秀逸と
いう言の葉に
「やったぜっ!」と
月光なき夜が
きらら輝く
野苺 帰り道の短歌
雪だるまん says
初めまして。2月6日に南青山のサロンでメイクをしていただき、たくみさんの大ファンになってしまった昭和な考えの者です。「体罰」という言葉で全てを表現してしまうのは疑問だらけですんね。明らかに、危険な体罰はいつか罰せられると思います。しかし人の成長過程では色々な事がありますよね。小さい時に喧嘩して、いじわるして仲直りして、また喧嘩して鼻血だして先生に叱られて、授業中にうるさくして教科書で頭をゴツンとされて、運動部では怒鳴られ、ピンタをされて(なにくそ~)と思ったり。それが普通の人間のやりとりです。感情もありますしね。運動部なんて、ビンタなんて普通だと思います。それだけ一生懸命なんですよ。人はその人に関心がなくあきらめたら無関心になりますもん・・・・・・。
タクミ says
雪だるまんさんいらっしゃい。
先日はありがとうございました。
>「体罰」という言葉で全てを表現してしまうのは疑問だらけですんね。
そうですね。そもそも「体罰」の定義ができていないよう。
>運動部なんて、ビンタなんて普通だと思います。
中学の時の野球部なんてマジえぐかった。
でも、僕たちは、だからこそ、「中高運動部でした」って子を信頼して採用しているんですね。
厳しく、そして若干理不尽でない運動部を出ていてもあまり魅力はありません。
>感情もありますしね。
くどいようだけれど、僕が一番言いたいのはそこです!
愛から出るものはいい(あるいはそれも駄目)けれど、感情からくる体罰はダメ、っていうこと自体に反論したい。
体罰なんてもんはほとんど全部が感情混じりじゃ!
雪だるまん says
ご多忙な中、コメントに返事を下さってありがとうございます。おまけに長い歴史のあるブログなのに突然参加で・・・。しかもどうしたら投稿できて、顔と星のマークの意味も分からずに取りあえずクリックしてみました(笑)そしたら星が5つ出てました
ところで、なんでこんな世の中になってしまったんですかね。たくみさんはどう思いますか?
私は個々の家庭でのしつけが、違うものになってきてしまったのかと。例えば、子供が「今日先生にぶたれた」と言ったら「どうしたの」「先生のいうことを聞かなかったから」「そりゃあ、あんたが悪い」で終ればいいのに。「先生ぶったの?やな先生ね・・・」なんて返す親も多いですもん。だから子供もつきあがるんですよね。
なんて、どんどん話題がずれてしまいました。失礼します
タクミ says
どうでしょうねぇ。
平和で生きやすいと心はその分弱くなるんじゃないかな。
戦後の風が残っていたころは日本人はいろいろと必死だったけれど、現代はなんやかや言って生きるのは難しくないわけで。
仕事がないと言いながら、3K仕事には誰もつかないんですから、やっぱやわなのは間違いない。
いつの時代の人の方が素質的に優れているというわけでは絶対ないのだから、教育の差なんだけれど、平和だとその辺が緩むんでしょうね。
自分らの時代はましだったように皆言うけど、今の子供たちの親がまさにその自分たちの世代なのだから、あんまり偉そうには言えないよね。
それよりも今、この瞬間にどちらに向かうのかということが大事なんじゃないでしょうか。
これから、さらに「体罰」無き世の中を目指すのが子供や若者のためになるのか、それとも本気で指導している人間のある程度の暴走なら許してやろうという方向に舵を切り直すのか。
その辺の判断を求められているのではないかな。
僕は少数派と言われるでしょうが、体罰をもう一度肯定し直したいです。桑田の言うことなんか糞喰らえということですな。
猫又 says
体罰が行き過ぎる時に、感情はどうなっているのか?と暫く考えてました。
始めから痛めつける目的があったのか。それとも叩きだしたら、歯止めがきかなくなってしまったのか。
前者は言語道断ですが、後者は誰にでも起こり得そうな怖さを感じます。
経験からは、素手でなく物で叩くと過剰なものになりがちだと思います。
noichigo says
私は「少数派」ですよ。
いろんな面で生きにくいけれど生き方は変えらないかも…。
幼少の頃「かんのむし」っていうのかな、泣き叫ぶnoichigoを祖母と母が押さえつけ「やいと」をすえられました。ツボなのか痕が残らない配慮なのか右手人差し指を曲げた第2関節のシワの所に。
家庭は男尊女卑、食卓での座る位置は決められていて弟は許されても私はダメなこととかありました(…古いですね)
うちの父は素手で(笑)
スナップが効いて後からくる感じ(^-^;)タバコの小さな火傷の痕も左手にありますよ(笑)
そんな古き良き(?)時代遅れの家庭で育ったことが良いのか悪いのかは正直分からないけど、何でもかんでも体罰をいじめ 暴力 軍隊的など…に直結してしまうのは違う気がします、私はね。
戦争が67年もの間ない国の「平和」のひずみ、のへ~としたタガがゆるんだ状態でどうやって心身をは鍛えるのか?国や誰かのせいにするのはラクかもしれんけど自己責任で目の前のことに全力投球せぇっちゅうねん!
以上、少数派の戯言でしたm(_ _)m
タクミ says
体罰に拍車がかかっていくというパターンね。
そういうのを普通に想起するということ自体が希少のケースと思いますよ。
普通、体罰はやはり行いながらも「あ~、やっちまったなぁ」と思いながらになるものじゃないかしら。
いや、僕自身が肯定派と言いながら手の出ちゃう方とかでは全然ないので、そっち側からの気持ちはよくわかんないのか。
タクミ says
へ~っ、noihigoちゃんの環境も厳しいですね。
僕とこなんてそれに比べると緩いな。
子だくさんだった時代は、うるさい子供を黙らせるために、今日ならペットにしかしないようなことをしていたということでしょう。
そして、それもこの世の一つの真理を表していると思うんですね。
さて、現代ではどうあるべきなのか?
体育会系の現場などで、タガが緩んだ状態だなと指導者が感じた場合に(怒り交じりで)体罰が出ることをただただ「よくないこと」の中に突っ込んでしまうこと。
これって昨今流行りの思考停止の一種でしょう。
ケース・バイ・ケースで認めていく方がやっぱり難しい。でも、それをやらないと色々なものを失っていくと思うんですよね。
それから、ちょっと前には普通に横行していたものが一もにもなく「悪」「一利なし」でありえるはずがないなんて、普通に考えれば誰にでもわかることなのにね!
めみ says
よかったぁ。ひょっとして、先生、手を挙げるタイプなんでは?と思いだしてました。(笑)
教育について、なるほどという論評があったら、リンクします。
めみ says
リンクが上手く貼れないので、
【日の蔭りの中で】京都大学教授・佐伯啓思 体罰禁止がもたらすもの
でググっると出てきます。
猫又 says
体罰否定の流れが出てきたのは、行き過ぎた体罰での死亡や大怪我などの事件が報道されてからなのかなぁ…と何となく思っていました。
そういう訳でもないのでしょうか?
我が家では、3歳くらいから革製のベルトを素尻に振り下ろすという方式が主にとられていました。
素手でビンタされる時より回数が増えやすかったので、エスカレートする体罰のイメージがすぐ浮かぶのかもしれません。
タクミ says
めみちゃんのリンクはタイミングあれば見ますね。
>体罰否定の流れが出てきたのは、行き過ぎた体罰での死亡や大怪我などの事件が報道されてからなのかなぁ…と何となく思っていました。
そういう訳でもないのでしょうか?
そうだとしたら、柔道の体罰とは本来「別件」の話ですね。
そういう判断ミスは、基本、体罰はいかん、というのとはまた違う話だ。
>素手でビンタされる時より回数が増えやすかったので、
そうかなぁ・・・
素手ビンタは自分も痛いから収まっていくのでしょうか。ようわからん。
noichigo says
ねっ!
その普通、が難しい…個性やオンリーワンが大切にされる時代ならば、タクミさんがおっしゃるように大変だけどケースバイケースの応対をと私は思います。
TVのWBC応援バラエティー番組で紹介された話で、日本シリーズで捕手のサインを見逃すほど舞い上がった巨人の澤村投手の頭をマウンドで上からバシッ!と叩く阿部さんの映像を先日見ました。これが体罰で暴力 悪の入口と捉えるならば、スポーツなどするな!させるな!関わるな!という意見です。
うちは戦死した伯父と一番下の年の差が20才あるんですが、きかんぼうでクソガキで癇癪持ちの父ですら姉兄達が帰ってくると座敷に両手をついて挨拶しているのを見て子供心にホッとしました(笑)
自分のことは出来損ないの失敗作だと理解してますm(_ _)m
タクミ says
あの阿部のパコンッ!ね。
あれを体罰という人は今はいないと思いますが、でも、ひと昔前までは同様に体罰と誰も呼ばなかったようなものも含まれてきていると思うので、将来はわかんないよ。
基本はそういう刺激を与えることでハッとさせよう、気づかそうということ、そしてこっちもちょっとイラッときて・・・なのだから、普通に「体罰」と同種のもののわけだしね。
noichigo says
そう私も思います。大観衆とTV視聴者の目にさらされたマウンドで恥かかせやがって!ととる可能性もありますもんね。番組で(澤村投手の置かれた状況や2人の信頼関係まで説明した上で)素敵な話として紹介されていたのが気になりました。ここまでせんと現代人には伝わらないのかと。
猫又 says
今回の柔道の監督のケースは判断ミスの部類と認識し
ていて、選手達が上に訴えていなければ、事件になった可能性が高いとの見方から、否定派が声を高くしたのかと思っていました。
危険性のあるものは全て排除、という考えから出たのであれば、それは短絡的だと思います。
ただ、エスカレートする場合に関しては、監督を雇う側が(稀なケースだとしても)対応策を前もって考えておくのは無駄ではないと思います。
本文にあったアメリカの条文(?)ですが、日本でそのまま取り入れるのはどうかな…?と私も感じました。
一つには、アメリカと日本では、感情を表現する時の強さが国民性として違うこと。
もう一つは、(競技にもよりますが)アメリカチームを見ていると監督たちに大柄な人が多いと感じることです。
体罰を与えた時の選手への物理的ダメージが日本でのものより必然的に大きくなりそうな…
noichigo says
猫又さん
革製のベルトの話…幼い猫又さんを思わず抱きしめてました(;_;)
子供の立場しか知らないけれど、おっぱい ねんね だっこ…物心つく前までの時間は一番有り難くて幸せなのかな、と。私のタバコの痕も3才位なんですが20年以上経って「アナタそんなのあった?」と帰省時に母に聞かれて話したら「お父さん!!」って怒ってくれて。
父、苦笑いって感じでした(笑)
年齢を重ねてそんな小さな痕も目立たなくなり少し寂しいような気もしてます、思い出が遠くなってしまったようで。
猫又 says
noichigoさん
ありがとうございます。あったかいです(o^^o)
私も子供としての立場しか知りませんが、(若い頃には解らなかった)両親の置かれた状況が考慮できるくらいにはなってきました。
私は何年も跡が残るようなお仕置きはされませんでしたが、まだ恐怖感と絶望感は薄れずに残っています。
これは性格的なものも関係していそうですので、気長に修行(?)するしかないかな…と思います。
必死に忘れようともがいていた時期は過ぎたものの、こういう話題で反応が感情的になるので、まだまだ未熟者です…精進します。
タクミ says
そうなの?
柔道の暴力ってそんなすさまじいものだったのかな?
それだと僕の認識違いになるけど。
体罰に対する考え方の違いは、個人の尊厳とかそういうものに対する違いじゃないですか、主に。
いわゆる「個人」の強い国と、そうでもない国の違い、でも近いかな。
noichigo says
猫又さん
こんばんは。こちらはホットココアで自己発電中(笑)
まだまだ未熟者、時には感情的でいいと思います(*^ー^)でもでも怒哀の倍は喜楽でね♪
なんて。ちなみにこちらは憎しみ(?)の対象である父似です(>_<)笑
猫又 says
私が見たニュースでは、執拗なものや怪我をしている選手に対してのものがありました。
ふと思い出したのですが、欧米の有名童話での体罰ってかなり厳しいものですね。教室に樫の棒があるとか読んだことがあります。
赤毛のアンでは、教師になったアンが体罰をするか否か悩んでました。
若草物語でも、エイミーが教師から見せしめのような体罰を受けてました。
他にも、小公女に台詞だけはありましたし、トムソーヤにも…
どうも聖書に端を発しているやり方のようです。
となると、欧米の方が厳しい体罰の伝統が長そうな気がします…
タクミ says
>どうも聖書に端を発しているやり方のようです。
となると、欧米の方が厳しい体罰の伝統が長そうな気がします…
にゃるほど。それはおもしろい。
でも、体罰って自然のものじゃないかなぁ。
子だくさんな時代なら特にそうだけれど、人間のしつけは犬猫に対するのと大きくは違わないんじゃない?本来。
自分たちが楽に子育てするためでもあり、社会で間違いを起こさないようしつけることを、いわゆる「人間性」よりも少し上に置く態度でもあると思いますが。
猫又 says
聖書のどのへんから来た体罰なのかな…と調べてみたら、原罪の思想かららしいです。
原罪の何たるかを調べたのですが…調べるほど解らなくなりました。一神教は難しい…
どうも私の体罰のイメージは、かなり世間とずれているようです…
体罰が自然なことかどうか、今はまるでわかりません。
そうであっても、閉鎖的な環境で大義名分がある時には、心理学的にエスカレートしやすいそうなので、慎重であって欲しいです。
タクミ says
>原罪の何たるかを調べたのですが…調べるほど解らなくなりました。
人間は生まれながらに不完全である、ということではないの?
>体罰が自然なことかどうか、今はまるでわかりません。
そうですねぇ。
発想としてそれを持たない状態であればそれが「自然に」出ることもまたないかもしれませんから、そういう意味では自然なことと言えないかもね。
猫又 says
うっかり、原罪が生じた理由を調べてしまったので…
宗派によってちょっとずつ解釈が違ったり、
原罪自体を認めていない宗派があったり。
やけに詳しい説明をいきなり読んだので混乱しました。
歴史が長い分、枝分かれの仕方が尋常じゃないですね。
タクミ says
多分そういうのはどうでもいいんだと思う。
暇だったり、もともと不完全であるために深い教義解釈って起こるのでしょうけれど、そういうの、本当は大したことじゃない。
教科書に載っているのとか、それを膨らませたような新書とかで理解すれば十分なのだと思いますね。宗教は。