今日は最近の読書から思ったことを。
昨日までに「赤い指」(東野圭吾著)を読んだ。
東野圭吾はどこか軽薄であまり好きな作家ではないが、お客さんに勧められたので読んでみた。ところが、これはテーマが重くてなかなか良い。少なくとも途中までは素晴らしいのだ。
リーマン父さんが、妻に電話で催促されて、残業を切り上げて帰ってみると、なんと小さな女の子の死体があった。どうも一人っ子の長男が手をかけてしまったらしい。
この息子は、小学生時にいじめにあったことから、20歳前の今は引きこもりに近い状態。少女趣味まで持ってしまったイタイ未成年だが、周りもお約束で、父親は仕事人間で家庭をあまり顧みず、母親は超過保護というパターン。
その妻とは、たいした恋愛もせずに結婚したのだが、ものすごく気の強い女であると知ったのは結婚後であった。当然、旦那の親とはうまくいかず、お父さんが亡くなって一人になったお母さんを引き取るも、やはり全くそりが合わない。今はその姑さんもぼけてしまい、妻もクタクタだ。
死体を前に、当然警察に通報しようとするが、妻がハサミを自分の喉に突き付け「そんなことをすると死ぬ」と妨害。むちゃな論理で説得され、ついには折れて、彼が公園まで死体を捨てに行くこととなる。
次の日には死体が見つかって警察の捜査が始まり、死体についていた芝の種類から、この家族も疑われることになった。息子を殺人犯の汚名から救い、自らも社会的非難から逃れるために、ついに彼が取った手段は、認知症の老母を殺人犯として警察に突き出すことだった・・・。
ここまで進むのが小説の3分の2くらいのところで、僕は、ものすごく心が揺さぶられ、続きを読むのが苦しいくらいになった。ところが、その後で、探偵役の刑事が父親を追い込む手法はお涙ちょうだい的であり、さらにお母さんはぼけていなかった、というビックリまで用意してあって、読後感はまさに「興醒め」。リアリティが一気に霧散してしまった。この辺の軽さ、浅さが、東野圭吾の国民的作家たるゆえんであり、僕には物足りないわけでもあるのだが、まあ、それは今回のテーマではない(ネタバレごめんなさい。解決は下らんし、逆にそれを知ってても読めるおもしろさもあるからさ
僕がこの小説から強く思ったのは以下のふたつ。
ひとつめは、気の強い嫁さんなんか絶対もらいたくないということ。
ここでの奥さんは、常に旦那に従順じゃないし、旦那の家族を苦手に感じだすと、いっさい歩み寄ろうとしない。
嫌だ~!
僕なら、ブスでも、ちょっとくらいアホでもいいから、気がやさしくて明るい人が欲しい。
ふたつめは、親の面倒をみたがらない大人が多すぎるということ。
実は、気持ちとしてはもちろんわかる部分もある。でもね、そんな見栄もへったくれもない生き方をして、いったい何の意味があるのだろう?と思う。
「義務」でいいじゃないか。きれいごとでなく。そういうやせ我慢(そう感じる人には)をあえてやってこその人間だろ? そうでなくて何のために生きてるんだ?
もっと言えば、人間は、とりあえず最低限食って、暖も取って生きていけるのなら、次には、贅沢や出世なんかより、「正しく生きること」を選ぶべきじゃないだろうか。
それをせずに精神衛生よく生きていける人のことを、僕は本当に理解できない。
・・・と、おりょりょ。思わぬ熱い方向に話が行ってしまった。
まあ、年末だからそういうのもいいか。
!!!
ちゃうわ! 今日クリスマスイブや!!
そういう軽やかなネタでいくべきでした~
さえこ says
サロンにお邪魔して以来ブログも読ませていただいています。
ちょっと違うな・・・と思ったので初コメです。
私は義両親の面倒を見ている一人ですが、元気でいるうちはもちろんいいんです。
お互いに助け合えるし、たくさん感謝もしました。
ただ、義父の介護が始まったのが30代半ば。続いて義母の認知症が始まりました。
友人知人に認知症介護の経験者もいなくて、大変だったことを挙げればキリがありません。
私の体はぎっくり腰と十二指腸潰瘍という形ですぐに悲鳴を上げました。
そんななかで仕事も続け、あれでよく自分は生きていたな、と今になって思うほどです。
【「正しく生きること」を選ぶべきじゃないだろうか。】
当事者ではない人が言うべき言葉ではないと思います。
介護と向き合って必死に生きている人もいる事を考えてみてください。
タクミ says
さえこちゃんいらっしゃいませ。
これは失礼しました。
実際につらい体験を減られたかたには、言葉足らずで不用意な内容でしたね。
ただ、少し釈明させてください。
実は、この小説の前にほうで、主人公のお父さんが認知症にかかり、お母さんが介護をして参ってしまう場面が出てきます。
それを読んでいる間は、たかが文章といえども本当に悲痛で、果たして自分にそういうことができるだろうか?と、本当のところ恐怖してさえしまいました。
それに比べて、この夫婦は、徹底的に老母と向き合うことを避ける存在として対置され、元気なうちからコミュニケーションを絶ち、認知症の発症後(?)の世話は実質主人公の妹が見ますし、その認知症が狂言であったことさえ気づかない、親との生活に積極的でない人間の典型として描かれているのです。(それでも、母親といることに嫁はへとへとなのであり、また、同居もマイホームを得るために仕方なく、となっています)。
だから、読後には、そういう介護の難しさはむしろ改めて強く感じ、その真逆に位置する彼ら夫婦を他山の石とせねばならぬなと思い至った。つまり、親への恩を忘れずに大事にするとともに、そういうことがリスクとして存するのをよく知ったうえで、それでも、同居ということと積極的であるべきだな、と感じたのでした。
このように、ご指摘いただいたような意味合いのことを言いたかったわけでは到底ありませんが、それでも言葉足らずで不快な思いをさせてしまったことは事実です。
申し訳ありませんでした。
タクミ says
書いている途中で、色々補足しておこうかとも思ったのです。
ただ、やはり、こういうものの、文字の量というものにも気を遣い、多くを割愛しました(あらすじ部もだいぶ減らしましたし)。
実際に自分が言いたかったのは、「金(この主人公は拝金的ではありません)や社会的地位や安寧な生活よりも、自分が正しいと思うこと(良心ですね)を優先すべきじゃないか?」ということです。
その、自分が正しい、と思うことが、この話ならば、親とのどういう関係になるかは、人それぞれであるし、また、例えば、労力を割きすぎて、自分の子供たちがフラフラになることを、元気だったころの親は喜ばないと思いますから、そういうことに現実的バランス感覚を持ち込むことも重要です。
ですから、自分が、総合に判断して「正しい」と感じることを大事にすれば、それでいいのだと思います。
そして、この考えかた自体がまた、自分が「正しい」と考える一つの価値観にすぎません。
しかし、僕には、ひとが食って、家に住める以上のことを求めるとすれば、それは「よりよく見られたい」ことが最大の要素だと思っているので、正義にもとって、なにかかっこの付くことをやっても、全然合理的でなく(つまりよく見られないから)、そういう人のエネルギーのむけ方が、それぞれでいいじゃん、という相対主義の枠外に、きちんと「非合理」として否定できる気がしているのです。
・・・と、そういう事に主旨があったため、色々と簡易な表現をしてしまいました。
めみ says
おっしゃるような「良心」と、現実とのバランスを取る事は、大切ですね。
今は実の親でも、兄弟で押し付けあって、あまり面倒みたがらない人も、いますよね
義務というか、当たり前のように、家族で分担して、兄弟で助けあったり、そういう事情が許さなければ、ショートステイ、デイケアサービスを利用し、身体を休めたり、はりつめた気持ちにならず、息抜きしながら、最後まで、見守って送ってあげたらいいですね。祖母の介護をした母をみていて、そう思います。
れいち says
たくみさん、メリクリ新参者シリーズで阿部寛が出てるやつ軽く観るには面白かった
あたしこの本のドラマ化されたやつ観たよ
今日もお仕事かな?表参道はイルミネーション目当てでめちゃ混んでるね
タクミ says
>おっしゃるような「良心」と、現実とのバランスを取る事は、大切ですね。
うん。
バランスを取らない「正しいこと」というのは、それはそれで「思い込み」の域に入ってしまっているということでしょう。
僕がいつもメイクの話で言っているのと同じです。
生活の中でどれくらいの労力を割くのが合理的か、という観点を失ってしまってはまた意味がない。
メイク直しも含めて1時間かかるメイクが100点満点で、5分で終わるメイクが80点ならば、それでもいいのではないか?
それ以上にやるのは、特別な日だけにしたり、趣味として、ということでないと疑問符が付きます。
タクミ says
れいちありがと。
クリスマスイブは、なんと、PCでオーディオの勉強をして過ごしました(笑)
>あたしこの本のドラマ化されたやつ観たよ
本の表紙もそれでしたよ。
>軽く観るには面白かった
やっぱりそうなっちゃうんだ(笑)
最後まで読めば、それくらいの浅いドラマにもってこい、となります。
途中まではグイグイと迫ってくる迫力があるのに、この作家はいつも惜しい。
ま、そこが大衆的人気を勝ち得るゆえんでありますけど。
>表参道はイルミネーション目当てでめちゃ混んでるね
もう京都にいるのよ。
くま says
メリクリ♪(*^^)o∀*∀o(^^*)♪
東野圭吾はテレビの流星の絆は楽しめましたが、多読していないのに、後味が悪い作家、という印象です。
後出しジャンケンみたいな作風?
設定や、タイトルが上手なのかもしれません
介護者人口の増加は必須です。
良い悪いではなく、病状や経済環境にあわせて、自分を被害者にしない選択が長続きのコツかもしれません。
私はなんちゃって介護者ですが、さぼったり、ズルしながらやっと10年です。
自分が倒れたら誰も介護してくれないし、そんなの、母も嫌がると思うからです。
クリスマスもみどりさんとまったりちう…
みどりさんの分まで、元気に人生を楽しむのが娘である、私の仕事かもしれないですね
坂の上の太陽より
タクミ says
>東野圭吾はテレビの流星の絆は楽しめましたが、多読していないのに、後味が悪い作家、という印象です。
後味は、どうかなぁ・・・?
むしろ、どんな話でも後味はまずまずにしようとするから変になるのではないかな。
そういう意味では後味が「悪い」わけですがw
>後出しジャンケンみたいな作風?
これは小説の中で、てこと?
それとも、その作品テーマや設定自体が後出しっぽいという話?
後者ならば、まあまあ同意かな。
あっと驚くようなものはないよね。あれだけの多作だから仕方ないけど。
多分、映像が同時進行で浮かんでいて、その映像自体が、もう十分に皆が見てきたものから想像したものにすぎないのでしょう。
でも、エグザイルの音楽くらいが大人気な世の中だから、仕方ないっちゃあ仕方ないな。
yuka says
さっき読み終えました。実はブログを読んで、読んだ気になっていましたが、周りで東野圭吾と宮部みゆきは出ると必ず読むという人が多く、この機会に読んでみたところ、ちょうど2時間で読み終えて内容もまさに2時間ドラマみたいでした。赤い指ってそういうことだったのね。
現代的深刻なテーマを扱っているのに、読んでいてドラマの映像が浮かぶ感じの軽さがそれを相殺してエンタメに。
それに、確かにあの奥さんには全く共感できませんね。
タクミ says
yukaちゃんお久しぶり
>周りで東野圭吾と宮部みゆきは出ると必ず読むという人が多く
最後の方の、なぜぼけたふりをしていたかで、お父さんの気持ちを共感したかった云々とか、刑事の親子がなぜ会わなかったかとかの論理が、ものすごく「線が細い」でしょう!?
ああいうこと言うやつって、ちょっとテキトーなこと言わせてもらえば、「もてない男」だと思うんですよね、僕。
若いころに、恋愛の相談を受けていて、「えっ、そんな線の細いこと(女の子の気持ちを、論理をつないで推理してるような、あれ)考えてんの?」って人間は、当然もてない男だった。
もてる男なら、もっとざっくりと、自分の魅力と、相手の雰囲気くらいだけで、いけるかどうかを判断する(そして、大概勝利する)のに、もてないやつにはやたらと論理が入ってくる。
だから、東野圭吾や宮部みゆきをありがたがれる人って、モテない人たちなのではないか、と言えば暴論かな(笑)
>それに、確かにあの奥さんには全く共感できませんね。
あぁ、やっぱり!
女子も共感できないなら、作品として浅いということですね、その点からも。