輪島逝く 2018/10/11 By Leave a Comment なんと、こんなに早く「輪湖」ともに鬼籍入りになろうとは・・・。 小学3年から、相撲きちがいといってもいいくらいだった僕にとって、大相撲と言えば、なんといっても、輪島ー北の湖の「輪湖時代」だった。 いまネットで見ても、二人の力が拮抗していたのが76~77年というから、僕が小学5~6年時か。うむ。記憶通り。 小3で観だした時は、北の湖が横綱になったばかりのころ。早くも「憎らしいほど」強く、負けても、タイミングで足が出た、手をついた、程度。ほかに比べて実力が完全に抜きんでていた。 対して輪島は休場がち。数場所ぶりに出場して10勝くらい上げ、涙を浮かべていたのを覚えているが、北の湖との差は歴然と思えた。 ・・・と、その場所までは。 次の場所で本格的に調子を取り戻したら、輪島の相撲は北の湖とまた全然違う意味で、これがまたすごい! 強い!! 馬力で相手を吹っ飛ばし、いわゆる「電車道」で寄り切ってしまう北の湖に対し、輪島は身体が小さく(小兵ではない)動きは緩慢にさえ見える。しかし、そうやってゆっくりと動きながら、しかし、やっぱり「電車道」で寄り切ってしまう。特に相手に何もさせず、そして、自身は最後が一番きれいな形となっている。それは抜群の腰の決まりと、天才的な前裁きのうまさがあるゆえなのだ。 もちろん、小4くらいの僕に、そんなことはわからない。最初はね。でも、見て、解説を聞いたりしているうちに、それが見えてきた。そして、それは「相撲が見えてきた」ということに近かった。 相撲の「前裁き」は、意外なことに、サブミッション(関節技)の連続である。 突いたり、回しを探って来たりする敵の手を、手で防ぎながら、同時に関節を決めていく。 もちろん相手も、そのまま決められて、痛てて、参った、とはいかないから、それを外しながら・・・後退していく形となる。 立ち合いからの電車道で決まった短い相撲の中にも、そういう攻防が10個くらい入っているのだ。そして、それらの全てを制しながら、輪島はまっすぐに土俵を進んで行く。見た目ゆったりと、特に何もしていないようであり、さらに最後は、相手の腰は浮いてしまい、自分は深々と股を割っている。 『なんと美しい相撲か!』 彼が復調してからは、他の力士はほとんど輝かなくなってしまった。 そして、例の2年間を迎える。 毎場所、両横綱が優勝を争った。14日までで、無敗か1敗。千秋楽を相星で迎えることも珍しくない。 だから、千秋楽結びの一番(と決定戦)で、ほとんどの優勝が決まった。 実際、この2年間は、二人で5回ずつ優勝を分け合ったそうだ(もちろん12回中である)。 だからその一番は異様な盛り上がりであった。 輪島が有名な金色のまわし。対して北の湖は王道の紺色だ。 この二人の土俵だけが、その場所の他の全ての取り組みと比べて、まったくの別物に見える。 なぜか、「小さく」見えるのだ。それは兄も言っていた。まったく何もかも違って見えた。 いつも、立ち合いは全く同じである。 北の湖の馬力をまともに受けたくない輪島は、少し半身に開きながら左下手を差すが、右上手を引けば万全である北の湖にそれを拒否する選択肢がない(実際に、輪島以外は、全員が北の湖の上手を嫌う戦術で来るため)。 そして、そこからの攻防も、基本は同じである。寄って、投げて、寄り返されて、投げて。大型化する前の力士の動きは非常に俊敏で、技の攻防は見ごたえがあった。 輪島が負けた時は、精魂尽き果てた姿となる。 北の湖が敗れる時は、それでもやはり転がされたりはしないのだが、他の人に負けた時のように「たまたま」負けたというイメージではなく、力を出したが負けた、と周りが納得する形となる。 いつも、すごい相撲となった。 その後、大相撲は千代の富士の時代、さらに若貴、モンゴル横綱の時代と続く。 どれも、輪湖に比べると物足りないが、その中では、貴乃花の相撲が一番好きだ。特に曙との対戦(鬼の形相の武蔵丸戦は別として)。 力量は貴乃花が2枚くらい上だった。曙の相撲はレベルが低いので、15日間で2~3番落としてしまい、貴乃花が優勝する。しかし、だからと言って、あの反則のようなリーチと重さを相手に、普通に受けてしまって勝てる者もいない。というか、相撲ができない。その曙の突き押しを、しかし、全盛期の貴乃花は、本当に受けて裁いていたのだ。これもまた、恐らく前人未到、空前絶後の域に達していたと思う。 このたびの輪島の訃報に際しての記事で、ひとつ気に入ったものがあった。 ライバルがいなかった者は、抜群の成績を残せてラッキーであったというのはよく読む。 しかし、その記事には、「輪島は北の湖という好敵手に恵まれたせいで、特別な輝きを見せることができた。幸運であった」ということが書いていた。おぉっ! そういう見方もあるのか。 たしかに、貴乃花の場合も、曙が強かった時が一番輝いていたもんなぁ。 北の湖の方はなんとも言えない。輪島がいなければ、もう数回優勝して、30回クラスの横綱となり、無敵伝説を強化した、ということがより勝つ気もする。 しかし、輪島は絶対に違うだろう。 北の湖という絶好の相手がいたからこそ、輝いた。天才と言われ、スピード出世の記録を持ち、先に横綱になった自分を、追い越していった年下のライバル。それでも、北の湖がいないよりも、絶対に彼は輝いたのだ。 享年70歳は、早い方ではある。しかし、素晴らしい人生であったと心から羨ましく思います。 そしてありがとう。輪島大士さん。 やすらかにお眠りください。
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