やしきたかじんさんがお亡くなりになった。
若すぎる死と言っていいだろう。惜しいことだ。

ヤフーのニュースなどでも非常に多くの記事が上がっている。
例えばこれ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140108-00000009-wordleaf-ent
曰く「話し出したら、絶対に笑わせる」。「歌、こわいほどうまい」。「最後は、必ず優しい」。
なるほど。
では僕なりに3つにまとめてみようか。
僕も関西人。彼のことはそこそこ見てきた。
まず、関西であれほどの力を持っていたたかじんさんが、関東など(関西以外全部?)ではほとんど無視されてきたのは本当に惜しいことだと思う。
強面と、えぐ目の関西弁、少し毒々しいキャラなどが災いしているとは容易に想像がつく。
しかし、それで切り捨ててしまうのはあまりにもったいないくらいの力のある人だった。
もちろん、彼自身の要望で東京に放送が流れるのを拒否したのでもあるが、でも、そこに至るまでの間で、関東が彼を傷つけてしまっていたのだろう。残念な話だ。
次に、その実力とはどういう種類のことか。
先の記事の「話し出したら、絶対に笑わせる」に対応することだが、やはりトーク系パフォーマンスが抜群にうまかった。
勘がいいし頭もいい。関西人に必須の笑わせる能力以外に、番組の緊張感を維持するのがうまいというか、キャラのたった出演者を暴れさせておいてさっと手綱を締めるような、そういうセンスがすごくあった。
それが最高に発揮されたのが「たかじんのそこまで言って委員会」。
三宅久之さん、宮崎哲弥さん、そして橋下徹現大阪市長などの、能力も悪も強いキャラを存分に操って、真面目で、激しく、おもしろく、そしてちょっととぼけた味わいにまとめ上げたのは、僕の狭い知識による独断だけれど、前人未到の領域と見えた。
対して、記事の「歌、こわいほどうまい」についてはどうか。これが最後の三つ目であるが、僕は彼の歌については、昔から全否定と決めている。
他人から供給される曲を歌うことの方が多かったと認識しているが、そのヒット曲を見る限り、彼の音楽に新味は全くなかった。売れ線の使い古しメロディー×サビに大阪弁というワンパターンは、こういう言葉を使うとまた叱られるかもしれないが、はっきり言って「偏差値低い文化向け」。
実際、関西のカラオケ屋では、首や財布にチェーンジャラジャラ、パツ金彼女を連れたヤンキーが、なぜか椅子のひじ掛けや背もたれに腰掛けながらたかじんを絶唱するというのが見慣れた風景であった。当然僕には水と油の世界である。
さらにその歌唱法。ビブラートをこれみよがしに効かせるために、歌全体の表現がつぶれてしまう。もちろん、そんなことを分析までするのはわずかな人間だが、しかし多数派もそれを無意識には感じる。さらに、それが全く気にならない連中となると、件の文化の人々、となるのだ。
そして、そのことこそが(僕にとっての)たかじんの不思議なのです。
さんまみたいに、トーク時のパフォーマンスが最高なのに演技はいつまでも大根、というのもちょっと不思議だけれど、でも、聖子や紀香など類似の人もいるし、第一、不思議さが知れている。
それに比べて、このたかじんさんの、歌のセンスとトークのセンスがまったく違う人から出るようなところは、他に例を見ない気がする。ひとことで言えば、「トークの偏差値は高く、歌の偏差値は低かった」。
もちろん、僕の主観であるし、一人の人が全く違って見えるというのは、評価をする側が共感できていないだけとみる方が普通だろう。でも、見方を逆にすれば、僕だって、あの歌を先に聴いて彼のセンスを全否定しながら、そのトーク番組を後から知ってこれは一流だと評価するくらいの、柔軟な見識は持っているつもりなのである。
やしきたかじんという、この関西の宝をひとつ失った機会に、ずいぶん以前から僕が疑問に思ってきたことをちょっとぶつけてみました。
合掌。






