
その中での最高のヒットがこれ、角田光代著「八日目の蝉」です。
なんかね、浸れるんだよ~。
この人の本は3冊目くらい。
いままでのものも、すべて上の部類に入るものだったし、つまり相当な実力者だね。
作風は桐野夏生さんにかなり似ている。
語りの主体や、主人公に当たる人が、一作の中で複数いる(脇の話が長いと言ってもいいが)のが通常で、どの人の立場で見るかで話が全然違って見える、という仕掛けが語り口の特徴。
その中では、桐野さんが、ちょっと小汚い言葉や、えぐ過ぎる本音を羅列することで、独特のリズムと華やかさを生むのに対し、角田さんはそういう、いわば「猟奇的な」テクニックには走らない。
まあ、桐野さんの方がとっつきがよいとも言えるし、角田さんの方が正攻法で読ませているとも言えるだろう。
「八日目の蝉」のストーリーは、ある女性が、生まれて数カ月の赤ちゃん(女の子)を誘拐してしまう。
逃亡生活は3年半におよぶが、宗教集団に囲われたのち、小豆島に至り、暖かい島の環境が、ちょっと安定した「家族生活」を生みだす。
結局、女性は逮捕され、女の子は親元に連れ帰られるが、今度は、その家庭内で当然彼女が馴染まない。
どちらの親が自分の親とも言えない特殊な家庭環境の中、なぜ自分にそういう役回り来たかを、問い続ける日々だった・・・。
もちろん、ものすごく暗い内容ではあるのだが、母性本能の強さが、前向きなエネルギーを生んで、どこか明るくあっけらかんともしている。そして、それがまた一種のリアリティになっているのだ。
映画の方は、連れ去られた女の子が、より主人公的な扱いらしいが、僕が共感できたのは、断然前半の、連れ去った女を主体とした方。
彼女が、ひたむきに女の子を愛していることには、なんとなく納得できるし、逃亡生活を当然のように受け容れることに対しても、実は思い当たる例が身近にある。
大学の同級生のひとりが、逃亡ではないが、ジプシー生活のようなものを長年送っていたし、ウチに長年いたさのみかちゃんなんかにもそういう血が流れているしね。
そして、僕にも、なんかすべてを捨てて、根無し草のような生活を送ってみたいというような願望がやはりあるのを感じるんだよな。
この小説の世界観は、読後もしばらくは、そこにしばしば浸りに行きたくなる種のもの。これは、そういうレベルの作品です。
映画も観てみようと思う。

『天使にラブソングを』映画版
なかなか有名な作品だが、恥ずかしながら初見でした。そして、思っていたよりもはるかに良かった。 ストーリーはシンプル。ハスッパなナイトクラブ歌手が思わぬことから修道女となり、そこで引き起こす悶着と、合唱指導を通してお互いが





