今日は『永遠のゼロ』のストーリーをご紹介して、皆さんに見ていただきたいと思います。できればご意見もいただきたいかな。
まだ言ってんのか、と思われるでしょうが、やはりケリは付けておきたい。
それから、内容は完全ネタバレ注意です。
現代の司法浪人の男の子の祖母が亡くなって、祖父が実の祖父ではない、とわかるところから物語は始まります。実の祖父は、先の大戦の航空兵であり特攻で死んだとのこと。祖父のことを調べていくうちにわかっていく事実とそれに対する現代側の反応が小説や映画で描かれていく、という筋立てです(浅田次郎『壬生義士伝』と全く同じ構成)。
祖父は海軍切っての操縦力を持ち、当時圧倒的機能性のゼロ戦を駆れば「無敵」でありながら、自分の命を惜しむため「臆病者」と揶揄されることも多い人でした。不殺に徹するとかでなく、基本的に敵に攻撃を仕掛けますが、乱戦になって自分の操縦術でも命が保障されないとなると、ひとり上空に逃れ、戦闘の終結を待ちます。それは、日本に残した新妻とまだ見ぬ赤ちゃん(娘)のためにも死にたくないと強く思うからでした。①
それを現代で知った娘(司法生のお母さん)は「それを聞けただけで・・・」と感涙します。②
また、そのことを部下になじられた祖父は「お前には死んで悲しむ肉親がいないのか!」と胸倉をつかんでにじり寄りますが、そのことで、のちに海面不時着しながら生き延びた元部下は、現代で「感謝している」と告白し、孫たちを感動させます。③
その後、戦局は悪化し、軍は特攻戦術を取り入れることになりました。
もちろん祖父は志願をしませんが、一方では特攻兵の教官を任されます。それは、操縦法のみを教え、戦闘法は教えないという、特攻のためだけの訓練でした。
祖父は、訓練の合格者を自分の教え子たちに全く与えず(もちろん教え子の命を守るため)、教え子に嫌われますが、その一人が整備不良機に乗って事故死したときの名誉を守ろうとして上官に激しく体罰を喰らったことで教え子の目の色が一気に変わり、その後、祖父が戦闘中窮地に陥った時に、ある教え子が敵機に無謀にも体当たりを敢行。おかげで祖父は危機を脱します。④
ところが、その後戦局はさらに悪化。祖父の不合格戦術は無効化されたのでしょう、教え子たちも多く特攻で死に、祖父自体が「教え子の死のおかげで自分が生きているのは辛い」と、あれだけ惜しんでいた命であったのに、自ら特攻を志願します。⑤
その当日。最新機に乗るも、機の不調を感じた祖父は、以前に命を救ってくれた部下が同日志願であったため機を交換。途中離脱した部下の命を救って、彼に「もし君が生き延びたら、僕の家族を見守ってくらないか」としたためてゼロ戦に残します。
その直後に特攻は行われなくなり、終戦を迎えたため、その部下は生きながらえ、祖父の遺した家族を訪います。生活に困り切った母娘のもとに、最初は義務感から通っていた彼が、いつしか奥さんを愛するようになり、彼女も、「あなたは、死んだ夫が戻ってきた姿です」と受け入れることになります。
一度、戦中に戻ってきた祖父が「必ず戻ってきます。死んでも戻ります」と言っていたのが、形をこのようにして行われたという風に解釈したというわけです。⑥
そして、その時の部下が、今の「育ての祖父」だったということがわかり、祖父の特攻が神業的操縦法によってかっこよく決まった(?)場面で映画は終わります。
以上、できるだけ私心は排してストーリーを並べてみました。もう一人の部下のエピソードも大きな見せ場であるのですが、僕の言いたい部分とは違うので思い切って割愛しました。
さて、ここからが僕の批評、いや、ほとんど批判です。
①こういう家族愛至上主義のようなものは戦後アメリカナイズの産物でしょう。もちろん、そういう人が戦中にもいたでしょうし、別に悪くもないですが、それを素晴らしく感じるのは現代の人だからであり、少なくとも美談ではないはず。また、軍としてそれを求めていないのは明らかなのに、③のように説教するのは狂っているでしょう。
第一、このような主義が軍でまかり通っていたとはとても考えられません。よほどの好成績から黙認されるという可能性はありますが、まあやはり、現実的には無理でしょう。成績よりも士気・命令遵守が重要なはずだから。それから、このように命を惜しむなら軍役や飛行自体を拒否すればよかったのです。命を惜しんで乱戦を露骨に避ける航空兵に、どういう正義もないでしょう。
②感動するような話でしょうか?
一緒に生活もしていない娘への愛情など、義務感か自己愛でしょう。本当に自分を愛しての行動でもないし、「ああ、そういう人だったのね。その時代に珍しいわね」というだけのことだと思うんだけれど。
④教官を務めながら、合格・特攻許可を与えない。これも狂ってますね。法務大臣を拝命しながら死刑の判を付かず、「人命は重い」とかほざいてる輩と同じでしょうか。諸事中途半端なんですね。
⑤なぜ、最終的には特攻をしないといけないのか。まずそういう史実なのかもしれませんが、小説・映画的には「特攻のかっこいい場面を描きたいから」であることは間違いないと思います。現代的な家族愛をもち、絶対に帰るよ、と言う場面も描きたいし、特攻のかっこいいシーンで岡田君のイケメンぶりを生かしたい。そんな映画でした(だって、岡田君最後は少し笑うんですよ。それまで超凄惨な顔だったのに)
⑥そんなアホな話ないでしょう。
自分らに良くしてくれる男性を、ぼちぼち好きになったり、生活のために受け入れるのは普通です。しかし、目の前の男性が、夫の生まれ変わり的な存在というのは、無理がある且つ、その人にも失礼だ。いやまあ、この辺は「勝手にやって」って感じですけれどね。
以上が、僕がこの小説・映画に疑問を感じ、感情移入できない理由(と思われるポイント)です。
現代の家族至上主義は、特段真理でもなんでもないし、ましてやそれを戦中に持っていることは、特異であるという以上のことではない。それで戦役拒否とかを行うのは勝手だが、戦闘に飛び立っておいて逃げるというのはありえない。
そんな人間(実際にはそのまま存在しなかったでしょうが)を現代的に美しく解釈するのは間違い。昔体罰がまかり通っていた時代に、自分の過ちを相応の体罰で正そうとしてくれた人を(体罰そのものを無くすとかでなく)恨んでいることを、現代的に先見の明があったと言っているようなものです。
その時代には、それを「逆恨み」と言った。それで正しいのです。
いくらか譲って、個人が恨みを抱くのは、それもまた真理・自由としても、時を経てそれが美談となることはないはず。違いますか?
長くなりました。もう『ゼロ』はやめるつもりです。
ただ、僕からすれば、この箸にも棒にもひっかからない作品が、世間で、特に若者のものすごい支持を受けていることに、かなり違和感を持つんです。ちょっと危機感にも至る。そこで、ネタバレ覚悟でこのような奇行に至りました。
よければ感想・ご意見をください。もちろんご自分なりのもので結構です。







