やっべぇ泣いてしまった。。。
そんな飛びっきり良かったというわけでもありません。
山田洋二監督の作品としてはいまいちだったのかも。
(写真は、映画の前に、小説でも出てくる資生堂パーラーでランチしたときのものです)
今作では特に、原作を脚本化していくことの難しさを感じました。
映画化で当然いっぱいの要素をはしょっていかなけりゃならないですよね。
原作では、タキさんがどんどんスーパーお女中になっていくが、映画ではクソ謙虚なまま。これだと晩年のキャラとつながらないよね。
しょうちゃんも年齢的にちょっと合わなくなってくるし(晩年関係なく)、「事件後」のタキさんと奥さんの関係の変化を描けていないのに、別れの場面の奥さんがあっさりしているのはどうなのか?
などなど、どうしても不完全燃焼なところができちゃうのだけれど、でもまあそれはこらえるとして、これだけはというのが一つある。
それは、旦那さんのキャラをだいぶ変えちゃったところ。
原作では、旦那さんは奥さんの再婚相手で、しょうちゃんの実のお父さんではない。
そして、おそらく性的に不能で、でも若い奥さんをすごくかわいらしく思い、大切にしている。
しかし、映画では旦那さんのキャラをガサツに変えて、その辺の煩雑な背景をはしょった。
これはちょっと痛かったのではないか?
それじゃあまあ普通の浮気になってしまう。
再婚には安定と「ちいさな幸せ」だけを求めた別品さんが、恋情というもの自体を思い出すように板倉さんに恋をする。だからこそある程度心情的に許された浮気になるのではないかな。
いい映画ではあるけど、これではイマイチ気持ちが乗りきれんなぁとどこかで思いながらラストまで進んでしまい、ありゃりゃ、とエンドロールが出てきて、そこで「さすが山田監督。やりやがる!」となった。
映画のドラマ性を、タキさんの嘘と後悔に絞り込んだわけだけれど、ここでの「嘘」が、ただこの家庭を救おうとしたためなら「後悔」は半々減するわけで、そこには「自分の嫉妬がそうさせたのではないか?」との思いが挟まるこその涙になる。
であれば、タキさんから奥さんへの恋心を強調する必要があるが、それをエンディングに持ってきやがった。すなわち、初めてそのお家に出向いたときに、タキさんが奥さんに一目ぼれしてしまう様子をエンドロールの背景に描いて、そのピュアネスを印象付けた。そしてこれは、ミステリーの解のようにもなっている。
『オペラ座』のところでも書いたが、いま僕は、こういうやむに已まれぬような恋愛に弱い。打算も何もなく、あぁ、この人に尽くしたいと思い、ひたすらに実行する。そして、それが裏切られるように感じた瞬間に、大なり小なりの牙を剥いてしまう。それですべてを失った怪人も、そのことを70年間も苦悩するタキさんも、ものすごくいとおしいと感じる。
そんなこんなで、映画が終わった瞬間には涙でズクズクになっていた。
少ない観客の中で間違いなく一番目に泣いていたということ自体は珍しいことではないが、しかし、それにしても見事な泣きっぷり。70点の映画であっても、最後の最後にこういうのを仕込んでくるのは、さすが山田洋二監督であると思った次第です。







