女子柔道の代表監督らが暴力をふるったという問題。難しいですね。
こういう時に、一部の人が決まって持ち出すのがアメリカとの違い。
米オリンピック委員会では以下のプログラムの元、コーチらの指導が行われているそうです。
「トップレベルのエリート選手ほど不法行為を経験しやすい」
「不法行為は結果的に選手のパフォーマンス低下につながる」
「体罰が指導の一環であると言う考えはいかなる場合も受け入れられない」
一番上のことはよく知りませんが、それ以外のふたつについて。
先日僕が記事に上げ、昨日大々的に告別式が執り行われた大鵬の場合は、まずゴリゴリの体罰指導の中で技量も人格も作り上げられたはずだ。
そのニュースに感動し、「夢をありがとう」とか思っちゃった後で、いやぁ体罰は絶対にいかんよ、か。
う~む・・・
それから僕の場合。
中学1年の時に体育教師のビンタで2度も吹っ飛ばされたことで人並みの大人らしくなれたと、自分では信じている。
そういうこともある。
教師はその時、絶対に体罰なんてしたくなかったのか。嫌々の愛の鞭だったか。
それはよくわからない。
実際にはちょっとむかついたのではないかと思う。
園田監督もそうかもしれん。
平常時に選手をしばいてやりたいとはよもや思っていなかろうが、でも、その瞬間にはやはりカッと来てやった部分もあるのだろう。
じゃあそれはだめなのか。
実は僕にとっては一つの理想形でもあったりするのです。
僕の場合はめったにその場で社員を怒るということがない。それはもちろん営業中であるためのデメリットが大きいからでもあり、そのことのメリットもあるが、一方で、終礼時などに持ち越すと、言い方に嫌味や憎悪が出てしまう気がして、本当は一瞬沸騰が双方にとって一番いいのではないかとも常々感じる。
それに、なにより自分の精神衛生に良い。
選手が昔は平気だった体罰を受け入れられない時代が来たのであれば、次には、監督が精神的ストレスを抱くことを受け入れられない時代が続いてもおかしくないだろう。
「体罰は絶対に受け入れられません」
「体罰できない精神的苦痛を俺は我慢できない」
「こりゃ五分五分だな」
なんてことにならんとも限らん。
いや、正直くだらなすぎるな・・・と思う昭和の男がここにひとり。
つまり、やはり体罰賛成寄りなのでしょうね。心の底では。







