20周年パーティーの話4 山本英美先生編 2017/12/6 By さあ、いよいよダンスの話です(笑) 話は会場探しの時点までさかのぼります。 まあ、一応見てみるか、程度で見に行った貸し会場が、着いてびっくり、昔の京都ナンバーワンのホスト・クラブ『おしゃれ貴族』の後継テナントだと知った時、僕は何とも言えない感慨に包まれました。 特段隠してきてもいないですけれど、僕は20代前半の学生時代に、祇園のホストクラブで2年と9か月働いていて、しかも最後の方は店長も務める、祇園有数の売れっ子ホストだったのです。 ホストというのは、ほかのホストクラブにお客様に連れられることも多く(お客様の自慢みたいなものでしょうね)、僕もおしゃれ貴族には1~2回来たことがありました。そして、いまはディスコダンスのときに使われているそのホールで、僕はお客様と社交ダンスを1~2曲踊ったはずなのです。 「これ、ここでやらなあかん流れちゃうか!?」と思ったのは、最初は『パーティーを』というつもりだけだったのですが、その数日後には、「ここで踊れば、パーティーのエンタメの“核”ができあがる」と思い立ち、もうその段階で実質それらは決定事項となってしまいました。 しかし、問題はダンスのほうです。 ホスト・クラブの社交ダンスなんて、信じられないことに、踊る拍さえずれている(正しいダンスで、ステップの「2」のタイミングが、ホストには「1」だったりする)くらい全くの別物。つまり僕はど素人同然の52歳として、ダンスを始めなければなりません。 ダンスのパートナーかつ教師として白羽の矢を立てたのが、この人、山本英美先生でした。 実は、ホスト時代の友人でプロのダンサーになった先輩、僕からすればスーパーマンのようにうまい彼が決して勝てない強敵として、山本ペアの名前は随分前から知っていました。 その山本先生が京都店に写真を撮りに来てくださったは、もう何年も前のことでしたが、僕は「お~っ、あの山本先生か」と思いましたし、その時のチャラいと言ってもいいくらいの明るさに、かえって底知れぬ実力のようなものを感じたのだと思う。「この先生しかない」と思って電話をかけました。 すぐにお会いできて、やってくれることにはなったものの、なんとなく気後れしていたのと、先生も多忙で、レッスンのスタートまでに手間取ってしまいました。 そのご多忙の理由が、後から徐々に実感を伴ってわかってくるのですが、TVの「金スマ」の企画で、先生がタレントのキンタローさん(のペア)のレッスンを手掛けたところ、この手の企画の予想の範囲を超えた大躍進を見せ、海外出張を含む大忙しの状況に、あるいは「期せずして」入られていったタイミングだったのです。 これはある程度断言できますが、僕の依頼がもう2か月くらい遅かったら、つまりレッスンの開始頃であったら、先生はとてもこの話を受けてくれなかったと思う。お受けいただいたときにはこのように殺人的スケジュールになるとは思いもしなかったので、ご快諾くださったのだと思います。 本当にラッキーでした。 第一、キンタロー云々がなくても、全日本4連覇の実績ですよ。本当の第一人者だった人です。よく頼みに行けたなぁと今は思うw それはともかく、やっとレッスンが始まったのが、8月の末日ごろ。もうパーティーまでは2か月半しかありません。 そして、僕の初回のレッスン結果は、「散々」「最悪」「悲惨」などという形容しか浮かばないようなひどいものだったのです。 普通の50代が始めるお習い事。いや、体の動きは若干ましだったかもしれないが、覚えていく能力は異様に低く、きっと平均以下。先生が言うとおりにとりあえずステップができて、先生が、ああ大丈夫かな、という顔をされていても、もう一度となるとほぼまったく再現できないのです。これは「頭から入る」人間の標本のような僕にとっては宿痾 のようなもの。身体では覚えていかず、頭の中で整理されて、はじめて身体も動くので、どうしようもない。しかも、それが歳のせいかまったくトロい。 僕も正直驚いていましたし、先生もあとから聞いたところ「これはちょっと間に合わないだろうな」と感じたそうです。 お互いに忙しいため、レッスンは夜中のスタート。終了時点で12時を過ぎていたでしょうか。とりあえずタクシーに乗って家路につきましたが、僕の頭の中はどうだったか。やばいと思っていたか、燃えていたのか・・・。 それがよく覚えていないのです。おそらく車中での僕は、“呆然と”していたのだと思います。